ベルリン中央駅のプラットフォーム
金田真聡のドイツ・ベルリン建築通信 no.06
ベルリン中央駅にて

 

7月のある朝、私はベルリン中央駅のホームにいた。時刻はまだ、5時を過ぎたところだ。大き な荷物を抱え電車に乗り込む人、隣国から夜行列車でベルリンに着く人。駅はその街の顔であ り、そこを通過していく人々の、人間模様が描かれる舞台である。

AM 5:00

 早朝、私が駅にいる理由は、来月ロッテルダムに引っ 越す友人を訪ね、ドイツ北西部の街、デュッセルドル フに行くためだ。彼とは大学時代からの付き合いで、 同じ研究室に住み込み、日々の設計課題や卒業設計に 打ち込んだ10年来の友人だ。社会人になってからも、 ことある毎に海外への想いを話しあっていた私たちは、 偶然、勤務先も近かったため、海外の設計事務所のリ サーチやポートフォリオの完成度を毎週チェックし合っ た。会社の昼休みに近くの公園で落ち合い、下手くそ な英語でプレゼンテーションの練習をしていたことな ど、今となっては忘れ難い思い出だ。一人ではどうし ても行き詰まってしまう時に、信頼できる友人と切磋 琢磨してきたからこそ、今こうして二人ともドイツま で来ることができたのだろう。そして彼は次のチャン スを求めオランダのロッテルダムに旅立つ。お互いド イツに住んでいる身として会うのは、これが最後の機 会だろう。少し感傷に浸りながらそんな事を考えてい ると、ホームに真っ白な列車が滑り込んできた。ドイ ツの新幹線ICE(Inter City Express)だ。

ベルリン中央駅 -Berlin Hauptbahnhof-

 この現代的なベルリン中央駅には、流線型のICEのフォ ルムがよく似合う。ハウプト(haupt)とはドイツ語で 「主要な」という意味を表す言葉で、バーンホフ (Bahnhof)は「駅」を意味する。つまりベルリン・ハ ウプト・バーンホフとは「ベルリン中央駅」という意 味である。2006年のサッカー・ドイツワールドカッ プに合わせて完成したこの新しい駅は、日本の国立競 技場建て替え設計競技でも最終候補に残ったドイツの 大手設計事務所gmp(Architekten von Gerkan, Marg und Pertners)によって設計された。gmpだけ でなく、ベルリン市、そして首都をベルリンに移した ドイツ政府も、この駅の建設に並々ならぬ意欲を燃や していたことは、その個性的な外観を見れば一目瞭然 である。圧倒的なその巨大さに加え、外観上の最も大 きな特徴は、商業施設やオフィスが入った建物が、高 架を跨ぐそのデザインだ。デザインのアクセントにも なっているその構造体は、もはや橋のようなでさえあ る。総床面積は約17,5000m2、長距離列車のターミ ナル駅としてはヨーロッパで最大の規模だ。
 日本でも駅ビルのような建物が、駅に隣接して建てら れる場合は多いが、それが駅を跨ぐように横倒しになっ たイメージだ。建設途中の写真を見てみると、垂直に 組み立てられた構造体を両側からゆっくりと倒してい き、中央でつなぎ合わせている。施工風景もなんとも 大胆である。

ホームに入ってくるICE
ベルリン中央駅外観

東西ベルリン統合の象徴

シュプレーボーゲン(Spreebogen=シュプレー川のカー ブ)と呼ばれる、ベルリン中央駅の位置するこのエリ アは、連邦議会と主要な省庁が集約された行政の中心 エリアである。だが歴史を振り返ると、ベルリンは中 心不在の都市だった。主要なエリアや駅はあったが、 それはあくまで東ベルリン、西ベルリンの中心だった。 ベルリンという街は、第二次世界大戦後、東(ソ連統 治領域)と西(米・英・仏統治領域)に分割され、さ らに1961年8月13日、東ドイツ政府によって建設さ れた壁によって、東ベルリン、西ベルリンという二つ の地域に完全に分断されたのだ。壁をまたぐものは存 在せず、道路や鉄道、そして家族のつながりまでもが 東西で断絶された。ベルリンを形容する言葉は、あく まで東か西だ。中心はない。しかし1989年11月9日、 誰も想像しえなかった壁の崩壊が突然訪れた。そして その4年後の1993年、壁が存在していたこの地域の都 市計画コンペが行われた。そのコンペにおいて、分断 された電車網を統合し、ベルリンの電車交通における 中心を再構築する要がこの駅だったのだ。

直角に交差する線路と吹抜け

 この駅で外観以上にさらに特徴的なのは、内部のダイ ナミックな空間構成である。ベルリン中央駅には合計 14本の線路があるのだが、それらは東西方向に6本、 南北方向に8本、直角に交差して十字型に配置されて いる。東西方向の線路は地上3階、南北方向の線路は 地下2階に位置し、その間は吹き抜けの大空間でつな がっている。東京駅や渋谷駅も、地上にも地下にもホー ムはあるが、それらは空間的には分断されており、そ の経路はとても複雑だ。一回では到底覚えられるはず もなく、慣れたと思ってもまた迷ったりする。それは、 駅というものが人々の生活の足という性格上、常に増 築工事によって作られていくという宿命にあるからで ある。街の発展に合わせ、駅は少しずつ大きくなって いくのだ。既存の駅近くに新しい駅を建設しようとし ても、駅を中心に街が発展しているが故に、大規模な 駅が開発可能な土地の入手も、そこにつながる広大な 線路敷を新たに引くことも、現実的には大変難しい。
 ベルリン中央駅においてそのダイナミックな空間構成 を可能にさせたのは、皮肉にも東西に分裂されていた その歴史的背景であった。壁の足元は逃亡をふせぐた めの「死の帯」と呼ばれる幅広い空地がつくられてい たために、統合後も荒れたままの広大な空地としてと 取り残されていた。これらの放置されていた敷地が、 東西統一と同時に、中心地になるという価値の転換が 起こったのだ。戦後の安定した日本に育った私には、 想像もできない現代史の1ページだ。
 そんな特殊な状況の中で計画された、この直交する線 路プランは、非常に機能的である。その優れた点は、 ベルリンの北側と南側から来る長距離列車が、東西方 向から来る環状線を迂回せずに、直接ベルリンに入れ るようになり、大幅な時間短縮が実現した点だ。中央 駅と共に、都心部を東西と南北に貫通する路線と環状 線が完成し、今日では壁があったことすらほとんど感 じさせないほど、スムーズな移動が可能になったので ある。さらに通常14本ものプラットホームが横並び に配置されると端から端までの移動はとても長いもの になる。しかしホームが直角に交差している事で、ホー ム間の結節点が多くなり、さらに吹き抜けを通して駅 全体を見渡せるため、案内板が読めなくても目的のホー ムまで迷うことなく行くことができる。また17本の ホームを2つのグループにして重ねることで、規模に 対してコンパクトな平面計画となっている。これはド イツの都市計画において重要な考え方に基づいている。 ドイツでは駅と線路が街を分断することが、街づくり においての問題点とされているのである。そのため、 駅と線路敷の地下化と、その上の土地を公園や住宅地 にする計画が、各地で盛んに行われている。
 ベルリン中央駅では、もう一つ、街と人の流れを分断 させないための工夫がされている。南北の駅出入り口 から吹き抜けを囲む回廊をショッピングモールとし、 反対側の出入り口までスムーズに出られるように計画 しているのだ。吹き抜けの大空間により、他の階の ショップなどの視認性も高まり、旅行客の滞在や消費 活動の増大にも貢献している。このショッピングモー ルは日本でも成功している駅ナカのような存在である。 しかし、一つ大きな違いをあげるとすれば、改札がな いというドイツの駅システムによって、街に対しより 解放的な存在となっていることである。電車に乗らな くても誰でも自由にショッピングをすることも、駅を 通過することもできる。だからこそ街を分断する存在 ではなく、街をつなぐ存在となっているのだ。むしろ 切符がなくてもホームにも行けるし、電車にも乗れて しまう。ドイツでは改札の代わりに、電車内で"時々" 切符をチェックしに来る。しかし改札がないからといっ て、もし切符がないままで乗車した場合は、ご注意頂 きたい。抜き打ちチェックに出くわし、不運にも切符 を持っていなかった場合は、40ユーロの罰金である。
 改札がないオープンな駅構内の商業施設のもう一つの 役割は、日曜日に唯一買い物ができる商業施設である ことだ。日曜日には、スーパーも百貨店も、ドラッグ ストアも、全て閉まっているドイツでは、駅の商業施 設だけが例外的に営業しているのだ。まして日本のよ うに365日、24時間営業のコンビニなどない。その ため、日曜日には中央駅内のスーパーは長蛇の列であ る。まさに生活の中心でもあるのだ。

商業棟の施工風景 *1
中央駅周辺の都市計画模型 *2
ベルリン中央駅 断面イメージ *3
中央駅周辺の開発風景 *4
直角に交差する東西路線と南北路線

出会いと別れの舞台

  この空間に身を置いて感じることは、直角に交差する 線路と駅全体が吹き抜け空間になっている効果で、駅 にいる人々の行動や活気が、駅のどこにいてもよく伝 わるということだ。駅にはいつも、出会いや別れ、そ して旅の高揚感などがつきものだ。往々にしてヨーロッ パの人々は感情表現が豊かである。彼らは久しぶりに 会った家族とホームで再開した時、遠く離れる友人を 見送る時、その感情を身体全体で表現し、抱き合う。 カップルともなると映画のワンシーンの様に熱烈にキ スをする。そういったシーンを遠くから見ると、胸が 熱くなりドイツにきた頃のことや、日本の友人たちと の別れを思い出したりする。駅とはそういった人生の シーンを彩る舞台でもあるのだ。本来駅とは、電車移 動における通過空間である。それは駅という建築物の 役割であり性でもある。極端なことをいうと、線路と ホームがあればその機能は果たせてしまう。しかし街 の玄関であり、出会いと別れの舞台である都市の主要 な駅はそれを彩るに相応しい佇まいと豊かな空間を持っ ていて欲しいと私は思うのである。駅は街の中心であ り、街の顔である。ヨーロッパではどの街にも、街の シンボルとなるような駅がある。ドイツに限っても、 ハンブルグやドレスデン、シュツットガルトなど街の イメージを代表するような駅がある。それらは往々に して歴史的な建物であるが、当時の最新の技術を使っ て、駅に必要な大空間を獲得している。各地の駅を見 て回るうちに、駅自体にその街の歴史や、メッセージ を感じるようになった。正直に告白すると、それまで の私は駅という建物に対し、それほど関心を払ったこ とはなかった。通勤、通学でも毎日利用していたはず なのに、ある種もの言わぬその無表情な空間に、感情 を託しえるような感覚はなかった。

  東西統一後のベルリンでは、核となる中央駅を歴史的 遺産の活用という方法ではなく、ゼロから作り上げる 道を選択した。過去を乗り越え、新しい時代を作って いこうという、意思とメッセージなのだろう。その駅 では、壁の崩壊による東西ベルリンの統合、歴史の荒 波を逆手に取ったダイナミックな都市計画と空間デザ イン、その結果描かれる様々な出会いや別れ、それら が上手く一つの空間に纏められ、可視化されている。 まさにベルリンという街だからこそ成し得た駅である。 この街を訪れた際は、ベルリン中央駅で、旅行く人々 が感情豊かに抱き合う姿に、子供たちが父親の乗った 列車を全力で追いかける姿に、少し足を止めるのも良 いのではないだろうか。
no.06 おわり

恋人の乗ったICEが消えるまで見送る男性

*1 http://de.wikipedia.org/wiki/Berlin_Hauptbahnhof *2 http://www.berlin.de/ *3 http://www.skyscrapercity.com/ *4 http://www.stadtentwicklung.berlin.de/ (その他筆者撮影)

父親の乗った列車を追いかける子どもたち