1.はじめに
本計画は法政大学富永研究室のプロジェクトである真鶴再生計画での調査に基づき、「町に住む」ことをテーマに修士設計としてまとめたものである。
港町の再生という大きなテーマにはさまざまなアプローチが考えられる。たとえば港の全体計画のマスタープランの提案や公共の施設の計画などである。
ここでは、人間の「居場所」としてのもっとも小さな単位である一軒の家から、真鶴という町に住むことを見つめてみようという、部分から全体を考える方法をとった。
2.計画にあたって
設計にあたり、次の3つのことを主要なテーマとした。
1)「家」の計画とは、もっとも基本的な意味で居場所を計画することである、つまり自分がそこにとどまり住むことが正しいことだと実感できるような場を作ることである。
2)「小さい」ということは、家が人間の身体に寄り添う尺度で語られることを意味する。
3)そしてこの小さな家は「真鶴」という具体的な場所に立つ。建築はそれが据えつけられる場所の固有性
を凝縮する。
3.風景の中に在ること
敷地は真鶴港を見下ろし、遠く相模湾を望む丘の上にある。海抜60〜70mに位置し、敷地の前方には港へと落ちる急激な崖地があり、敷地自体にも10m弱の高低差がある(図1)。敷地は街の中心部からはやや離れた位置にあるが、港を囲む地形の一部に建つことで、港町に住んでいるという強い感覚がある(図2)。この場所は「美の条例」と呼ばれる真鶴町まちづくり条例によって半島景観特別地区に指定され豊かな緑地が保護されている。
豊かに残る緑の中にあって、建築は過剰な造形を抑え、周囲の美しい自然や家並みの風景を変えるのではなく、より引き立てるようなたたずまいを目指している。そのため、外観を構成する要素は周囲の風景のアナロジーを含んでいる(図3)。たとえば、ボックスと細い鉄骨柱の垂直線は敷地背後の竹林や前方の崖の垂直性への呼応であり、積層する床面の水平性は雄大な海の水平線への呼応である。また、土地の傾斜に合わせた勾配屋根の斜めの線は、斜面を吹き上げる海風や周囲の家並みへのオマージュである。
4.「居場所」の集合としての住まい
このような場所に対して、住まいのつくりかたは、「居場所」としてのさまざまな部分の空間を、土地のロジックに呼応するように構成してゆく方法をとっている。
「居場所」の空間を構成する要素として、以下の3つの造形言語を扱うことにした。1つは、生活の場の土台である床面をずらしながら積層させて家の中に地形をつくりだすこと。2つ目は、囲み感と開く方向をもつボックス。3つ目は開きながらある一定の領域を生むL型の壁である。
これらの造形的には単純な要素を用いてさまざまな特徴をもつ「居場所」の空間をつくり、それらがシェルターとしての一枚の大きな屋根の下に集まっているということが空間の概念である(図4)。
この住宅は地上2階、地下1階で地上部を鉄骨造、斜面に半分埋まった地下をRC造で考えている。
地下1階はアトリエ、バスルーム、食料などの貯蔵庫からなる。空間はコンクリートのL型の壁によって場を規定する。アトリエは建具を開けるとテラスと一体の空間となり、遠く海へとつながってゆくような空間を目指している。これは、港の岸壁に座って海を見つめている風景に思いをはせて考えたものである(図6)。
1階はさまざまな大きさのボックスが集まって構成される。ボックスはそれ自身ひとつの部屋であり、ボックスどうしの間の隙間もまたニッチのようなひとつの居場所となる。
また、ボックスの内部が路地のような空間になっているものもあり、道の先に海の眺望を切り取る小さな窓があったりする。こうした空間は、たとえば真鶴の街を歩いていて、家々の間からぱっと海が見えるような体験を家の中に凝縮しようと考えたものである(図8)。
1階テラス、地下テラス、カーポートの屋上へと下りてゆく段々状のテラスは、真鶴の町の大きな特徴である「港を囲む雛壇状の家並み」へのオマージュである(図9)。
階段は単なる動線ではなく、本棚に囲まれた図書コーナーとなっている。図書室を兼ねた踊り場と、狭い階段を上ったところでぱっとひらける居間への眺望は、真鶴に数多くある石段の空間のエッセンスを変容させたものである(図10)。
2階は主寝室と書斎が床のレベル差をもって居間を囲むように配置される。真鶴の家並みが地形に沿って港を囲むように、家の中に地形をつくる(図11)。
断面計画は、土地の傾斜に沿った屋根の下に各スペースを配置することと、海風を取り入れて開口部の高低差により換気・通風を促す計画としている。
5.まとめ
以上のように、本計画は真鶴という土地のロジックを参照しながら、一軒の住宅という枠を超えて、路地のネットワーク・雛壇状の家並み・家々の間から垣間見える港への眺望といった町の風景や空間体験を「小さな家」のなかに結晶させるという方法論の具体化としての設計の試みである。それは真鶴という町の中にもうひとつの真鶴をつくることである。
研究としては大変小さな成果ではあるが、今後の真鶴再生計画に何らかの形で役に立つならば、設計者にとって望外の喜びである。
最後に、計画にあたりご指導いただいた富永讓先生、陣内秀信先生、佐々木睦朗先生、早川邦彦先生、現地調査で貴重なアドバイスをいただいた岡本哲志先生、石渡雄士さん、真鶴町役場のみなさん、真鶴再生計画をまとめてきた大島史顕、今井暢子、宮下幸多、谷森亮佑、富田彬夫をはじめ富永研究室の全員に大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。
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