no.174

建築造型論の講義と私
2024年12月  

岡崎 浩司(1987年 倉田/河原ゼミ修了)


 『建築造型論ノート』は2004年9月に『高山建築学校 伝説』の関連書籍として、ほぼ同時期に鹿島出版会より出版されました。これは、倉田康男が97年に法政大学講師を定年で辞するまでの30余年の講義ノートをまとめたものです。いつの日かの出版をまつかのように倉田自身がまとめた最終稿を元本に編纂にあたり、序とあとがきに代わるもので少しばかりこの論稿の背景輪郭を付け加えました。倉田康男は、私の所属したゼミの恩師であり高山建築学校の校主です。が、この建築造型論の講義に出会ったのは、ゼミもタカヤマの存在も知らない81年の後期でした。

 一コマ分の講義内容を手書きしたプリントが毎回配布され、それに沿ってくぐもった声で淡々とした語り口でしかしどこか苛立ちや熱が通奏低音のように感じられる、そんな半期のみの講義でした。あまり人気のある授業ではなかったので受講生はけっして多くはない。諸先輩からの評判も芳しいものではなかった。手術台の上でカタチを腑分けするような考えで建築(の本質)が解るわけない、とか、そも建築造型への固執が設計を不毛にしているとかといったことだったろうか。

 そんな講義に私はのっけからハマった。こんな論考を聞きたかったんだと思った。センスや好き嫌いといったきわめて感覚的で密教的な閉鎖空間に閉じ込められていた建築の造型を、解放的で共有可能な空間にひっぱりだしてくれた、そんな気分でした。だから先述の批判も私には造型への思考を不自由にする拘束衣として、意に介さなかった。在学中何度も受講し、しまいには時間給助手として講義ごとの配布コピーを用意しながら聴講していました。なにか建築を理解する手がかりを与えられたように思いつつも、いきつもどりつ少しずつ咀嚼していったように思います。講義で習った造型分析を幾度か試したりもしました。後輩たちをまきぞえにして、コルビュジェのサボア邸を素材に分析を試み、それを50部ほどの冊子にしたこともありました。実物を見に行く代わりに、内部まで詳細に再現した1/50の模型を作ったことも楽しかったな。っま、造型分析のためのVRのようなものです。

 今思えば、この論が造型行為を言語活動のひとつと捉え、F.de.ソシュールの一般言語学を援用した視座にあることが私におおいに影響したのでした。構造主義などに向かわせ、R.ヴェンチューリなどのポストモダン建築は言うに及ばず、意味論・記号論などを転用した映画・文学・視覚芸術等の作品分析・創作論、はてはデコン建築にも目を開かせたのでした。 

 2000年7月14日倉田康男の死去の後、恩師の遺稿集を編纂出版しようという機運を出発として『高山建築学校 伝説』は出版されました。その編纂作業期に、倉田の遺してくれたもう一軸、大学での講義原稿である『建築造型論ノート』を出版することを画策し、タカヤマ本とは異なる自費出版形式で書籍としたのでした。それは私の建築造型論という講義への感謝を動機としていました。その思いを後押ししたのは、決定稿と称する原稿を読んだからでもあります。倉田が最後にまとめた決定稿には、建築を共に学び実践する者たちへのいくつものメッセージが加えられています。わたしが聴講していたころの配布原稿には無いものでした。私個人の思いを超えて、これは出版しなければならないと決心しました。中央線の電車で恩師と、自ら著作を著すことのなかったソシュールについて雑談したことなどが脳裏によぎったりもしました。

 今、私の手元に数箱の段ボールにおさめられた『建築造型論ノート』があります。読みたい、手にしたいという方がおられましたら、ご連絡ください。建築という大いなる問に対する、膨大な時間を賭した建築家倉田康男のひとつの試論の熱が、きっと今も誰かに届くと信じているのです。どなたかへのクリスマスプレゼントにいかがでしょうか(^-^)。


 

『建築造型論ノート』鹿島出版会 表紙

倉田康男の似顔絵
〈卒計のエスキスを罵倒されたあとに描いたスケッチ〉

サボア邸の造型分析(1985)の冊子の表紙
〈都市住宅6806の杉浦康平デザインのアナグリフ画像の表紙に対抗して3D指向のグラフィックを表紙のデザインに〉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[プロフィール]    
 
岡崎 浩司 1987年修了 倉田/河原ゼミ

   
1960年生まれ 大分県豊後高田市出身
1987年 鹿島建築設計部 入社
2020年 鹿島建築設計部 定年退職
2021年 大阪拠点の設計事務所 株式会社KOO Associates共同設立
現在 自宅近所の作業場(KOOの東京事務所)で諸活動中