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とうとう私のイタリアでの滞在年数が、日本で過ごした年数を超えた。よりイタリア文化の中で暮らしてきていることになる。これまで、日本人的な感覚やアイデンティティを保ち続けてきているつもりだった。それが最近、かつては不思議に感じることもあったイタリアの様々な側面に、より共感できるようになってきた。 仕事上、様々な専門分野のイタリア人に接する機会がある。建築工学の分野だけでなく、医療や教育、農業分野であっても、イタリアの産業は、「人間のための産業や社会づくり」というゴールを見失うことなく成果をあげようとする人たちによく出会う。非効率なやり方が多いように見えるが、実際はそうでもない。効率よくできるところは、新技術を導入してバランスをとっている。プロジェクトを行う担当者に解説を求めると、明確な論理をもっており感心する。こうした考え方が自然とできるのは、なぜだろう。数年前に、若いエンジニアの男性が答えた言葉が忘れられない。「私の仕事の背景には、イタリア共和国憲法という、非常に美しい憲法があるからです」という返事だった。特殊な開発技術をもつため、仕事が絶えないエンジニアは20代であった。非常に論理的で、一国民としての自分の役割をわきまえていた。 こうした特徴は、イタリアの幼少期からの教育システムにあると思う。人間形成の大事な時期に、リベラルアーツ教育とインクルーシブ教育を行なっている。例えば、医学部や工学部を目指す子が多い理数系高校でも、人文系分野を徹底的に教え込んでおり、教室では多様性と共に生活する訓練を受けている。インクルーシブ教育とはいっても、現場は穏やかな時ばかりではなく、学校と親と保健局の間で揉めることもあるが、そこから新しい法規制の発端となることもあるのでマイナスとは限らない。 過去の調査で出会った学校の先生、精神障害のある人たちへの支援団体、農家などでつくるグループが2025年の3月に国際会議を開くということで、微力ながら私もお手伝いしている。会議タイトルは、「美しさを育もうーインクルーシブへの国際ネットワークを目指して」である。日本への刺激になればいいなと願っている。 |
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