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2009年、社会に出てからは大型複合建築の設計が続いた。私が初めて出した確認申請は135mの超高層(新宿東宝ビル)だったし、その次の担当プロジェクトは同サイズの超高層を2本分としたツインタワー(cocobunji
WEST&EAST)、そしてその次に担当したのは屋上に長さ300mの公園をもつ商業ボリュームと、80mの超高層ホテルを併設する巨大な建築(MIYASHITA
PARK)であった。 このようなスケールの建築設計を続ける中で、学生時代に渡辺真理先生の研究室で読書会をやっていた頃の記憶が思い起こされた。
Byond a certain scale, architecture acquires
the properties of Bigness(建築はあるスケールを超えると“大きい”という資質を獲得する。)/Rem Koolhaas
振り返ってみると、超高層1本をMサイズとした場合、M、L、XLと、“順番に”設計担当を経験できたのはレアケースだったのではないか。
そんな私が思う「ビッグネス理論」について3つの視点で書いてみたいと思う。
<必然性>
超高層建築はその大きさの扱いが表層的となってしまうと、その強力な影響力から“権威的”とだけの烙印を押されてしまう。大きさの決定要因が、経済合理性だけでなく、まちの構造としての必然性から生まれる必要がある。“なぜ大きくなければならないのか?”
新宿東宝ビルでは、その特異な敷地により、現行法規で超高層を建てることができてしまうため、その高さの影響力を「歌舞伎町の安心安全なまちのイメージ」を生むことに寄与することを目指した。具体的には、新宿駅付近に来訪される方々をできるだけ歌舞伎町側まで日常的に訪れてもらえるように、都市の結界となっていた「靖国通りを渡らせたい」と考え、超高層の高さを生かした光のタワーを計画した。実際に今まで来なかった層の方々を、建築によって歌舞伎町に呼び込むことに成功したと思う。
<多様性>
再開発となる規模になると、当然、建築計画・景観・防災等の審査が厳しくなる。容積割増し等のボーナスを得られる代わりに、都市に対してマイナスとなる要素をできる限り無くしながら、公共に対しての有益な機能を建築に与えることが義務となる。地域の個性に多大な影響を与えるため、生み出す景観の多様性も求められる。“既存の都市と対峙する準備ができているか?”
cocobunji
WEST&EASTでは、駅から接続する通路はペデストリアンデッキでつなぎ、建物の足元はどこからでも入れるアクセシビリティが求められた。また、まちの豊かな文化や歴史、自然をモチーフとした内外装デザインとし、国分寺駅前としてまちの門(ゲート)となるツインタワーを意図した。
<公共性>
単独敷地にとどまらず、複数の敷地にまたがる建築となると、建物に歩道や車路といった都市機能が入り込んでくる。その都市機能自体が建築の核としてデザインされることで以下ビッグネスの”素直さ”に応えることはできないか?
「The humanist expectation of “honesty” is doomed: interior and exterior
architectures become separate
projects.(ビッグネスでは、ヒューマニスト的な“素直さ”を求めても無駄だ。建築の内部と外部は別々のプロジェクトとなる。) /Rem
Koolhaas」 MIYASHITA
PARKは、立体都市公園制度を利用し、約1haに及ぶ区立公園を地上約41mに浮遊させる計画であった。2つの大きな敷地にまたがる約330mの長さを持つ建物となることと、屋上の区立公園への充実したアクセスが求められたことから、「建物全体が公園である」ことをコンセプトに、全体がまちのインフラのような様相を呈した建築とした。来訪者は建築自体が目的ではなく、街歩きという都市機能の延長として建築を利用することになる。今では若者のSNS文化のインフラとしても定着し、世界に発信される新しい日常の風景となっている。
なんだか作品紹介のようになってしまったが、建物が大きくなればなるほどステークホルダーが増えるため、複雑な交渉ごとが増えてくる。強くシンプルな建築コンセプトがあれば、すべての複雑さに優劣が生まれ、ベクトルが合い始める。建築のスケールが上がるほど、この視点が重要となる。
超高層に限らず、自分にとってスケールを横断する体験は設計者の誰にでもある。プロジェクトに応じて自由にスケールを行き来する軽やかさを持って、今後の設計活動を続けたいと思う。
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