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法政大学を卒業し、アトリエ設計事務所に勤め始めてから早3年になる。まだまだ新人で、と言いたいところだが、そうも言っていられないところまで来てしまった。
設計を生業にして日々実感するのは、建築というのは本当にたくさんの人が関わってできるということだ。
図面を描く人がいて、計算する人がいて、工事を組み立てる人がいて、その手でつくる人がいる。その果てしなさは、海みたいだと、いつも思う。誰かの波に助けられながら、時には立ち向かい、転覆することもよくあって、またどうにかして船を漕いでいる。
そうしてできた建物は、今度は私たちの手を離れ、またたくさんの人に使われていくようになる。だれかの日常のひとつになって、記憶のひとつになって、まちのひとつとして長い時間を過ごし、そうして都市を作っていく。
私の父は大工である。幼き頃から「完璧に一棟作れたら仕事を辞める」と言っていた父は、今日も現場に立っている。最近はその言葉の重さをひしひしと実感している。手がけた建物と向き合う時、本当に無数の反省点が目に映るのだ。きっと、そんな私の小さな内省などものともせず、建物たちはもっと大きな器で、もっと大きな文脈で、そこに建って人々を受け入れてくれるのだろう。頼もしい。でも、その大きな全体を作っているのは、些細な判断の積み重ねだったりする。だからやっぱり、この小さな反省が大切だったりもするなと、思うのだ。
大学生の時は「文学と建築」というテーマで研究・製作をしていた。当時の私は、実空間と同じぐらい、ひとの認知空間・記憶空間に興味があった。今、改めて思うのは、私たちが「建築」として見ている
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見えているものは、決してかたちだけの話ではない、ということ。そこにどんな光が入って、どんなものが風で揺れていて、窓からはどんな色が見えて、明け方にはどんな音が聞こえて……彼らはそういう、無数の環境との関係性でできている、ということだ。言葉にすると当たり前のことなのだが、当時の私はそのことを写実的に捉えていて、だから、テキストと空間の関連性について考えていたのだろう。
最近は、建築というものを環境をつくる器のように感じている。そしてそこには、ひとや動物、虫、植物までもが、等しい「環境」として参加できるといいなと思っている。
振り返ってみると、大学時代は自分の海を豊かにする時間だった。そのおかげで、今も何とか、波にもまれながらも前を向けている。
まだまだ海は広い。その果てしなさにくじけそうにもなるが、はっと息をのむ美しさを見せてくれる日もある。だから、もう少しだけ船路を続けようと思う。
建築という大きな海のどこかで、これを読んでいるあなたに出会ったときは、その時はどうか、あなたの海の話も聞かせてね。
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