no.006 「マラウイでの体験」
     2005年修了 永瀬研究室 林 泰寛
   
 

 今年は南アフリカでワールドカップも開かれ、アフリカという言葉がクローズアップされた年であったと思います。私は、2008年6月から2010年6月までの二年間、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊20年度1次隊、建築隊員として、アフリカ南東部の小国であるマラウイ共和国にあるムズズ市役所の都市計画局に派遣されていました。マラウイはアフリカでも最も貧しい国の一つと言われています。
 ムズズ市はマラウイ北部にある約13万人が住むマラウイ第3の都市で、標高1200mの丘陵にある、比較的涼しい緑豊かな町です。首都で現地語であるトゥンブカ語の研修を10日ほど受けた後、ムズズに赴きました。公用語は英語です。

仕事の内容
 現地では、バスの発着所や子供の診療所などの公共施設のデザイン、建築確認申請図面の審査の補助及び市民への指導、同僚へのコンピュータやCADの指導などを行っていました。
 建物は、土を固めて焼いたレンガを使うのが基本であり、良質な建材の入手が難しい中、限られた工法で、どのように使いやすく頑丈で美しい建物を計画するか試行錯誤の日々でした。
市内にあるサッカースタジアム周辺の運動公園の整備計画にも取りかかりました。バスケットボールやバレーボールやテニスコートなどからなる計画の一部は、ファンドが付き、実現に向けて一歩進みました。
 CADの指導は、初めのうちはお絵描き程度のことができればいいかなと思っていたのですが、何人かの同僚は簡単な配置図、平面図、立面図、断面図程度は描けるようになっていました。アフリカの人のポテンシャルの高さを感じさせる発見でした。

カロンガの地震
 マラウィ極北部地域のカロンガという町を襲った2009年12月6日から20日までの間にマグニチュード5.4から6.0規模の地震が襲いました。特に20日深夜に発生した地震では、深夜でかつ雨季でもあることから在宅者が多く、崩壊した家屋の下敷きになる被害が多くなってしまいました。300人以上が負傷、4,000戸近くが破壊・損傷し、多くの人たちがテント生活を余儀なくされました。被害のあった家屋や学校のほとんどは焼成レンガを泥で接着した質の悪い壁でできたものでした。貧しい人々はこうした自然災害に無力であることを知らされると同時に、質の高い材料、工法で建築を作ることを指導していくことの重要性を思い知りました。要請があり、地元の大工に家の補強方法を提案、指示してきました。少しでも助けになればいいと思います。

マラウイでの生活
 マラウイは初めて訪れた海外です。
 初めのうちは言葉の面などで苦労したこともありましたが、幸い、温和で陽気な同僚や町の人々に恵まれたおかげで今まで無事にやってくることができた気がします。トゥンブカ語を少し話せるようになったので受けが良かったように思います。週末は、町の人たちとサッカーを観戦したり、ムズズから1時間ほどで行けるマラウイ湖までくつろぎに行ったりもしました。同僚の家で、とうもろこしの粉から作るマラウイの国民食である”シマ”を食べた日々を思い出すと、今でもマラウイが恋しくなります。

職場の様子
地震後のカロンガの家
マラウイ湖
 
[プロフィール]    
林 泰寛
   2005年修了 永瀬研究室
   

 林君は、2004年度、第一回大江宏賞の受賞者。
 受賞作品は「MOBILE ARCHITEKUCURE PROJEKT」副題として「災害時や社会的ハンディを持つ人のためのモバイル生活空間の計画」というものでした。学部生のころから、ホームレスの生活環境に興味をもって研究を続け、修士設計ではその経験を活かして、災害時のモバイル生活空間として、極小の移動式住居のプロトタイプを計画しました。
 修士設計としては、あまりに異色なため、かなりきわどい議論になりましたが、あえてこれこそ大江宏賞にふさわしいとして選ばれたいきさつがあります。
 林くんは水戸の設計事務所に勤務したが、3年後退社して、青年海外協力隊の建築隊員としてアフリカ、マラウィ共和国に派遣され、このたび、任務を終えて帰国したもので、異色の海外経験を書いていただきました。

→[大江賞]