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東日本大震災の惨状に言葉もない。
被災者の方々、お身内の皆様に心からお見舞い申し上げます。
毎日見続けるTVやネットサーフィンから飛び込んでくる破壊尽くされた現地の映像は、私達に何をしなければならないのか、何ができるのかを訴えてくる。
私は20年程前から地域のまちづくりに関わっている。
コンサルとしてではなく、市民の立場からのボランティアがほとんどだ。自分が暮らすまちを、どこよりも住み良い楽しいまちにしたいからだ。建築の設計は専門的な閉じられた空間の中で完結することが多いが、まちづくりは多くの人や文化・歴史、風や匂いなどとの触れ合い、少年だった頃に接した感覚を呼び起こしてくれる。五感全てを使って人々や風景と語り合う楽しさがある。
私が暮らす川崎市宮前区は多摩丘陵の新興住宅地だが、縄文時代から人が住みつき、里山の農業・果樹・植木栽培などをしてきた地域だ。谷戸の地形と古くからの豊かな伝統を残す中に宅地化され、地元の住民と新しい市民が混じりあって、コミュニティ豊かなまちづくりに挑戦している。
キャッチフレーズは『人が好き、緑が好き、まちが好き」。
みんなが「好き」と言える、住み続けたいまちを目指して、市民参加のまちづくりに取り組んでいる。
私は1983年に国分寺市から移ってきた。小中学校のPTA会長から始まり、青少年指導員や子供会役員をしながら、区づくりプランの策定からまちづくり協議会の設立、区民会議で区の課題解決策の提案などに関わってきた。地域の生涯学習館の誘致から基本プランづくり、建設、開館までの10年間の活動も、地域の多くの人々との交わりの中で支えられ、実現に至った。本職の建築設計事務所でもコレクティブハウジングのNPOなどとの関わりの中で、横浜に農園を持ったコーポラティブハウス「さくらガーデン」を企画・コーディネート・設計・監理することが出来た。
このように関わって来たまちや人々の暮らしを災害で失うわけにはいかない。今回の震災の後、私は町会内に防災部を立ち上げることを提案した。今私にできることはこの好きなまちの暮らしを災害から少しでも守る体制を築き上げることだと思っている。人間が犯してきた傲慢さを一つ一つ見直し、地球環境との共生を考えながら、人々のコミュニティと絆を確かなものにして行かねばならない。
阪神大震災の後、地域の人々が取り組み蓄積してきた多くの資料からもう一度整理し直してみたいと思う。例えば内閣府の「一日前プロジェクト」検索なども参考にしながら、自助・共助の具体的な取り組みを進めて行きたいと思っている。
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さくらガーデン収穫祭 |
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宮前区の市民活動 |
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まちづくり広場
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