no.020 「無題」
     1992年修了 村松ゼミ 遠山 健
   
 

1)大学を卒業した後に何を学んだか
大学を卒業した後に何を学んだかというと全てが勉強であった。とある先輩に言わせると「給料を貰っているのだから君はプロなのだ。勉強ではなく仕事をしてくれ」と。とは言え何も知らず社会に出ていきなりプロと言われても、困ってしまう。ということで、「プロ」を目指すことになった。もっとも学校の先生などは大学を卒業してすぐに「先生」と呼ばれて、まさに即戦力「プロ」にならざるを得ないかと。下積み期間中には小技も学んだ。学んだというよりは覚えたということだろう。その後40才を超えたオッサンになったころ、新入社員の前でハレパネにポスターをきれいに貼り付けたらば、その新入社員は驚きの眼で私を見ていたとか。

2)大学の勉強は役に立ったのか
役に立つも何も、大学生のころにはほとんど勉強した記憶がない。マスターの頃には先生の手伝いでポストモダン世代前後の建築家の作品などを調べたりしたのは、社会に出た後先輩との会話のネタに役立ったくらいか。
実務を始めた頃は「あの時授業で言っていたことはこの事か」と思い返すことはあったような気がする。
そもそも大学の勉強は与えられるものではなく、自ら勉強(研究)するものだと。遅まきながら卒業する頃になってようやく解ったような状況だったと。そもそも私は勉強は得手ではなかったのだ。

3)「建築・土木」 いわゆるモノづくりは経験工学
図面だけではモノがわからないことが多い。図面と現場を見て初めてそのモノを認識できる。スケール感もそうだろう。図面には奥行きがない。もっとも奥行き感のある絵のような図面を描く先輩方は数多くいらっしゃる。
モノを作る過程を知らなければそのモノを実現できるかが見えない。現場で携わる人々は図面通りにモノを作る工夫を当然してくれるのであるが、設計者は作れもしない図面を書いてはいけない。それは同時に現場を知らなければならないという事だと。
一つ一つ経験する事でいろんな所に気を配る事を覚える。

4)仕事は時間との戦い
社会に出てからの約20年間になるが仕事に求められるスピードはどんどん速まっていく。平成の始めの頃の情報の伝達は電話とFAXが主だったかと。その頃はまだ図面は手書き、コピーは青焼き。新入社員は1日中青焼き機の前に立っていることも。なんとも贅沢なことだ。
今や会社内外での情報のやり取りは専ら電子メール。求める資料は美しく早く届くが、求められる資料もスピードを要求される。電子メールというツールは両刃の剣である。
電子メールの次に出て来る便利ツールはどのようなものか。我々を今以上に多忙の世界へ誘ってくれるのかも知れない。

5)コストの感覚
仕事とは言え他人様の資金でモノをつくる。その予算に合わせた設計が必要とされる。公共施設においては、将来の管理者の維持管理予算に合わせた仕様が求められる。
私は数字に弱い。自称「ハクション大魔王」である。数の感覚がなかなか身に付かない。子供の頃に算盤塾へでも通っていればもう少し「数の感覚」が身に付いていたのかもしれない。コストの感覚もこれ経験かと。この仕様がいくらでこの規模であればいくらになって、これくらいの期間で完成する。といった感覚が身に付いていれば、仕事の半分は終わったも同然。あとは図面を作ってモノを作るのみ。

6)デザインすることについて
デザインとは何だろう。順列組み合わせと言えないだろうか。自分のオリジナルというのは本来存在せず、自然界に存在する模様の類いでも、それをアレンジするにしてもその無限の順列組み合わせの中で最適解を見つけ出すということかと。
色彩についても同じようなこと。無限にある色の組み合わせから見つけ出す。
さて、これらの組み合わせを今話題(?)のスーパーコンピューターで計算してもらうとどんな事に?自分の好みなどの条件付けをすることで、最適のデザインが提供されたりはしないだろうか。

7)建築設計は住宅に始まって住宅に終わる
大学生の時にとある教授が「建築設計は住宅に始まって住宅に終わる」とがおっしゃっていたのを記憶している。その先生もそのまた先生から受け継がれた言葉だと推測される。人間生活において衣食住が3本の柱と言われており、「住」はその柱の一つで我々にとっては永遠のテーマである。
私の建築設計の仕事は、宝くじを当ててマイホームを建てることになった時に完結する予定である。

8)土を征するものは土木を征する!?
転職後は土木の仕事に携わる事が多くなった。さて困ったのは建築の仕事をしていた頃からも苦手としていた「土」の世界だ。土に限らず「構造」的な事も苦手だった。土木の世界はほとんどの場面で「土」が絡んでいる。「土」に関して体系的に学ぶ事が無かったこともあり、未だに中途半端な知識で仕事に携わっているが、そこは経験豊富な先輩方の力を借りることで、大きな問題が発生せずに仕事は進んでいく。

 

 
 
 
[プロフィール]    
遠山 健
   1992年修了 村松ゼミ
    1992年 3月 修了
1992年 4月 (株)熊谷組
1998年10月 住宅・都市整備公団
1999年    都市基盤整備公団(社名変更)
2004年    独立行政法人都市再生機構(社名変更)
         (現在:首都圏ニュータウン本部所属)