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最近、とても印象に残った建築に2つ出会いました。 1つは、名古屋大学豊田記念講堂。 設計は、槇文彦氏。なんと竣工は、1960年。 久々に、建築が本来持っている”POWER"に出会い、しばらくしてからでも、深くその感覚が刻まれたくらい、強い印象でありました。 2つ目は、法政大学55/58年館。皆様ご存知、1955年、1958年竣工した大江宏氏設計です。 その校舎が解体、建て直す計画があり、その計画に異議を唱えるために「法政大学55/58年館の再生を望む会」が発足され、恥ずかしながらその見学会にてはじめて、大江新先生に案内してもらいようやく“じっくり”見たのです。 ピロティや軽快な割付けのカーテンウォール、そしてシェル構造のルーフといった近代の建築的要素がちりばめられながら、どこか日本的要素が感じられる建築です。 教室前の天井高のある廊下には、カーテンウォールの手前に並ぶ円柱が、寺院などのモニュメンタルな列柱を連想させます。 列柱が佇んでいる空間がとても力強く感じ、ここでも空間が心に刻み込まれたのです。 現役でちゃんと使用されている大学校舎ですが、とてもメンテナンスが行き届いていて、初期のオリジナルを細部に渡って継承してことも手伝って、当初の建築がちゃんと息づいているのも大きな理由でしょう。どうしても、頭で考えて理解をしようとして、建築を見る事が多いこのごろであったので、いずれもこの2つの建築を通じて、あらためて考えたことは、建築を“感じる”ということでした。空間が発するメーセージを感覚で受け取ることで、空間は、はじめて“心に刻まれる”風景になるような気がしました。 近代の持つ、ストラクチャーの強さが、そうさせたのでしょうか。 2つの近代建築を通じて、なんとなく思いました。 |
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