no.037

「建築する赤ちゃん」
     2007年修了 大江ゼミ 野村 庸高
   
 

 赤ちゃんの描く線は間違いなく丸みを持っている。赤ちゃんが線を描くときは、肩を支点として、コンパスの要領で丸みを持つ線を描いていく。大人が描く線に比べてなんと自由なことか。私とは比較にならないほど自由な線だ。大人になると、自分の欲求を超えた諸要素が線の中に現れてくる。しかし、赤ちゃんにはそれがない。故に、とても自由な曲線を描く。

  赤ちゃんは周囲の状況を注意深く判断している。ある日、赤ちゃんの前にその体より大きいダンボール箱を置いてみた。赤ちゃんにとって、四角く組み立てた状態のダンボール箱は車に見えるらしい。箱の後ろに立って必死にダンボール箱を押して歩いている。そこで、ダンボール箱に四角い窓のような開口を開けてみた。すると、中を覗き込み、箱の中に興味を示した。赤ちゃんにとって、ダンボール箱は車ではなくなったらしい。中に赤ちゃんを入れてみると、窓から私を呼んでいる。司令室になった。いつまでも司令室のままでは私も都合が悪い。ドアのような開口をあけ、天窓のように上部を開放してみた。自分で出入りができるようになると、お気に入りのおもちゃを持ち込み、私を手招きし始めた。司令室から自分の部屋になったようだ。スケールや形状によって、与えられた物体を適切な用途、空間として認識しているのだ。

  話は戻るが、赤ちゃんの自由な曲線を見ていたら思い出したことがある。ピカソは晩年「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」と言ったそうだ。また、モダニズムの三大巨匠と言われるコルビュジェ、ミース、ライトも晩年には曲線を登場させている。水平や垂直のイメージが強い三大巨匠においても、晩年の到達点として子供の頃に描いていた曲線を求めたのではないか。そしてその曲線に最適な用途と空間を与え、大人の社会に登場させたのではないか。

  そういえば先日竣工した担当物件において、私は曲線の原寸型枠を制作した。理由は簡単、工務店が「墨を出せない」と言ったからである。しかし、そのデザインをしたベテラン建築家は、いたって楽しそうに現場で曲線をカキカキ、図面の上で、ベニヤの上で、中庭の土の上でカキカキ。その線を写し取って製作に入るのである。
  自分の身体に合う曲線を描くには、赤ちゃんのように小細工なしに、「描きたい」と求めることから始めるということか。

  それにしても赤ちゃんは、魅力的な曲線を描き、最適なスケールの認識力を持っている。それは、すでに大人を超えている。私も見習わなければ。このすてきな赤ちゃんを。

状況が変わるごとに遊び方が変わるダンボール箱
何度もカキカキした原寸型枠の下書き
 
[プロフィール]    
野村 庸高
   2007年修了 大江研究室
   

2007年修了 大江研究室

2007年〜  安山宣之建築設計事務所