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中学生の頃、実家を新築したことがあった。打合せにも時々参加し、遊び感覚で収納レイアウトなどやっていたが、建築家から「他に何か欲しいものある?」と聞かれたことがあった。反抗期の私は、「天窓から空が毎晩見れたらいい子になるわ。」と言ったことがあった。父親にすれば、私の思いつきで3人兄弟のそれぞれの部屋に天窓をつけることになり大変な思いをしただろうと今となっては想像がつくが、その頃は、本当につけてくれたことにただ感動し、建築家が魔法使いのように感じた。そして、これが私の建築家になりたいと思ったきっかけだった。 研究生の頃、渡辺研究室のメンバーとして、真壁伝承館のプロポーザルコンペに参加した。周囲の景観にいかに馴染ませるかというテーマで取り組んでいた。 私を含む学生チームは、敷地模型を作り、景観のことを意識しながらも、切妻形状をただコピーしたくはなくどうしたものかと苦戦していた。そんなある日、敷地模型を見ていた渡辺先生が、突然周りの建物ボリュームをはがし、敷地に寄せ集め始めたときのことは今でも鮮明に覚えている。 設計段階は、ワークショップを通して利用者の意見を聞きながら進められた。現場監理では、現場事務所とアパートを行き来する生活の中、いつものコンビニ、お決まりのラーメン屋に通ううちに、「調子はどうだ?」「だいぶできてきたな。」「くつろげる場所作ってな。」と声をかけられるようになった。こうした過程で、他人が利用する建物に関わることの責任の重さを実感しながら必死に取り組んだ。 建物完成後1年以上経ち、真壁小学校の職業フォーラムに参加し、建築家の仕事について説明する機会をいただいたが、伝承館を毎日のように利用するという子たちの中に数人建築家になりたいと言ってくれる子がいた。私自身が天窓から影響を受けたように、公共の建物が、その町の子供たちにこんなに大きな影響を与えるものなのだと改めて感動した。 現在私の事務所では、個人住宅、店舗内装などと同時に、庫裏の設計を進めている。 この建物を利用するたくさんの人の意見を聞きながら設計を進めているが、いつか真壁伝承館のように、多くの人に影響を与える力を持った建築を設計したいと思う。 |
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