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イタリアは住みにくい国ですが、確かに魅力的なものがたくさんあります。 イタリア人は、何をするにつけても「自由」です。この「自由さ」が、日本人の私には非常識に写り、無性に腹立たしく思えるときもあれば、羨ましいときもあります。特に、ナポリのような人間の欲望をあからさまに表現する町に住んでいると、私が日本の学校教育や家庭で教えられたこと全てが否定された感じがします。 イタリアでは、子供も小学2年生ぐらいになると、堂々としていて発言力があり、絵などを描かせると、独創的でカラフルです。 幼稚園の保育内容は日本とほぼ同じですが、明らかに違うのは家庭での過ごし方です。生後2ヶ月ぐらいから、親はいろいろなところへ子供を連れ出します。子供はイタリア人社会では特別な存在で、どこへいっても会話の中心になります。道を歩けば、知らない人も子供に話しかけ、お店にいけばご褒美がもらえ、撫でられることもあります。間違ったことをすれば、知らない人から子供自身が怒られ、本人が謝らないといけません。幼少期から、コミュニケーション訓練を受けており、小学校1〜2年で、既に立派な「ミニ・イタリア人」が確立しています。 もう一つは、障害児教育についてです。特別支援学級もなければ、通級システムもありません。補助が必要な子は、先生がもう一人ついたり、先生の横に机を並べて授業を受けます。本人も、クラスでも、それが特別であるという感覚がなく、皆で仲良く過ごすことが重要視されます。いじめや不登校はありません。思考のベースが、カトリック信仰だからかもしれません。障害児教育と創造性は、関係なさそうに見えますが、いろいろなものを許容する感覚を発達させている一つの要因となっているはずです。 イタリアの学校設備は、全く先進国レベルではありません。プールも運動場も科学室もありません。外へ出れば、何世紀も変化のない茶色一色の都市風景か自然しかありません。子供向けグッズもほとんど売っておらず、アミューズメントパークは国内に2つしかありません。 まとめてみますと、何もなくて殺風景だからこそ、対話することを楽しみ、豊かな想像力、独創的な形やカラフルなものへの欲求が生まれるのかなと思います。 |
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