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3年前、三陸で巨大な地震・津波が起きた。その時、一刻も早く調査に出向く選択肢もあった。ただ、現地での調査被害の話を数多く聞くにつけ、「何のための調査・研究なのか」を明確にした上で、三陸を訪れるべきとの思いに至る。4月に入り、国土地理院がネット上で公開した被災直後の空中写真を手がかりに、一つ一つの都市や集落の被害状況を分析するとともに、集落立地を詳細に調べはじめた。その間、新聞報道などでは、三陸の都市や集落の壊滅的な様子、各港の地震による激しい地盤沈下を伝えていた。一方、空中写真からは、大須浜、熊沢浜など幾つかの集落が最小限の津波被害にとどまっているとわかる。 2011年3月11日から4カ月半後、季刊「city&life(都市のしくみとくらし)」への掲載原稿を頼まれ、石巻から宮古まで三陸沿岸の都市と集落をルポする4泊5日の旅にでた。このルポは都市史を専門とする研究者の目で、三陸の現状を見聞きし感じたことを記すことが最大のミッションだったが、実際に集落空間を肌で感じ、その場の空気を嗅ぎ取っていくにつれ、都市生活者に忘れ去られていた三陸の「場所」と「文化」の価値を津波被害の少ない集落で解き明かすことが三陸の復興・再生に向けた重要なステップとなると感じるようになる。2011年11月と2012年3月、再び三陸の都市や集落を訪ねた。人づてに、話を聞ける人たちの輪が広がる。2012年7月の調査からは、現地の浜に宿泊できるようになり、大須浜をはじめとした幾つかの集落でヒアリング調査、実測調査を本格的に試みた。 さらに、法政大学のOB、学生を加えながら、2012年9月、2013年6月、2013年8月、2013年11月と調査を重ね、大須浜、侍浜では建物内部の実測調査も試みた。大須浜にあるAT邸は、建物内部の構成が広間型三間間取りの伝統を守る。築二百年の黒光りする柱や梁の太さに圧倒された。大須浜は、地震・津波が繰り返される三陸にあって、八百年以上もの間、人々のいとなみ、集落の仕組みを永々と受け継いできた歴史がある。また、雄勝法印神楽という神事は、同じ長い時間を浜と共有しながら旧暦3月15日(2014年は4月14日)に行われ続けてきた。現時点で、大須浜という場所の空間的、文化的に持続されてきた歴史を解き明かすことは、地に根を張った三陸の復興・再生のあり方を示す重要なテーマの一つであると確信している。地道な活動だが、2014年4月以降も、大須浜を拠点に、雄勝半島、牡鹿半島などの集落調査を継続し、法政大学のOB、OG、学生たちとともに研究成果を発表し続け、都市史の立場から三陸の復興・再生の一助にしていきたい。 |
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