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ほぼ毎月、1人で歌舞伎を見に出かけます。いつもより少しだけお洒落をして、地下鉄に乗って銀座へ。銀座三越のデパ地下で地雷也の天むすを買って、銀座の町並みを歩きながら昔の三十間堀を超え、新しくなった歌舞伎座のある木挽町へ向かうのが僕の定番コースです。僕は飲料や食品、日用品等の商品戦略やパッケージデザイン、ネーミングを考えるブランディングの仕事をしています。今は東京とシンガポールに事務所があるので、2つのオフィスを移動していると飛行機がまるで新幹線のようになりワクワク感が無くなってしまいました。だから月1回木挽町まで歩くというのは、僕の時間感覚を戻し気分をちゃんと高揚させてくれる治療のようなものです。 こんな仕事をしていると、街を記号のようなもので眺める癖があります。比較文化論とまでは行きませんが、街の空気感や価値観を一生懸命感じようとします。特に文様や暖簾のある銀座は面白いです。江戸時代は呉服屋の越後屋だった三越、明治のアールデコの象徴資生堂に、銀座木村屋、松崎煎餅等々。屋号を守り抜いてきたブランドはその都度、時代を生き残るための嗅覚を持っていたのでしょう。危険だと思った時に大きな変革をし、長い年月を積み重ねていればいるほど多くの試練を幾度となく乗り越えてきたことを感じます。街は変わり人も変わります。それでも変わらないことが価値であるという勘違いしがちですが、変化し続けないと現代に生き続けていられないはずです。何世代も続く老舗の店主たちは“伝統と革新”という言葉を口にしますが、勇気を持った革新こそが伝統というものを築いていくのだと思います。ブランディングという言葉がingの進行形になっているのは、変革しつづける活動という意味が含まれているからです。 正反対のシンガポールも大変面白い国です。70年代には当時のリー・クアンユー首相が現在のシンガポールの都市計画を創るために丹下健三氏を招いたことがあったそうです。現在、ほぼ計画通り、都市開発が進んでいるとも言われています。観光立国とビジネス立国の両輪を目指すという、未来都市を創造し先見の明があったのがシンガポールの強みです。しかし銀座の老舗が折り重ねてきた色濃い時間は負けません。僕にとって木挽町に向かって街を歩く週末は、日本人として喜びを感じる道のりです。 |
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