no.051

「羽化登仙器について」

   

1977年卒業 大江宏ゼミ 加賀谷 幸規




 
     
 

一昨年の夏、工事監理の打ち合わせのため、事務所のある新中野から新宿の都庁まで頻繁に自転車で行き来していた頃の話、

新中野から来ると、この新宿エコギャラリーのある中央公園の東側の坂道を上ることになる。変速機なしのママチャリ、降り注ぐセミの声、流れる汗、ようやく上がりきり交差点を右に曲がる。下り坂を、自然空冷を楽しみながらブレーキなしで下る。行く手右側には、ダンボールとブルーシートが木立の中に点在する。今では都市景観の一部となっている風景であり無意識に通り過ぎる

突然、奇妙な物体を見た。御菓子のねじりんぼうのような形をしていた。中で寝るにはちょっと苦しいような形をしたそのチューブ状のダンボールの脇に髪やらひげがいっしょくたになって胸まで伸びた老人が座っていた。打合せの時間が迫ってはいたが、思わず声が出ていた。

それ、なんですか?

なに、これか?これはな、「羽化登仙器」と言ってな、仙人になるための装置じゃ

仙人って?あなたが?

そうじゃ、わしは今仙人の修業をしているのじゃ。まあ、7割がたは仙人になれたのだがな、最後の仕上げはこれなのじゃ。

え?え? 何言っているのあんた、

 

奇怪な話に、役所の担当官には渋滞に巻き込まれていて遅れます、すみませんと携帯で連絡、もう少し話を聞くことにした。

難解ではあったが要約すると、

その奇怪な段ボールのねじりんぼうは仙界に通じる唯一無比の装置であるとのこと。台風が来たとき、自分の体をその渦の方向に合わせ回転させつつ、コリオリの力を計算しながら飛び跳ね大気と同調するための道具だと言う。何でも日露戦争が終わったころ浅草の路地裏で、やはり自分は仙人だと言う人にこの装置の作り方を1円で聞きだしたのがきっかけと言っていた。

その話を教えてくれたと言う人は、アメリカで仙人の修業をした人らしく、フリーメ何とかという集まりのえらい人にこのやり方を授かったとのこと。仙人とアメリカがなんで関係あるのか?中国だろと思いつつ聞いていた。なるほどと思ったのは、妙に科学的な物言いの裏にはこんな背景があっても不思議ではないと思ったからだ。とにかく黙って聞き続けた。ある建築家がこの秘術を漏れ聞き、水戸芸術館で実際に試したそうだ。そしたら実際脇にあった巨岩が宙に浮いたそうで、自分の修業は間違ってはいなかったと言っていた。これは、あの有名な建築家のことではないか?と思いながら、わたしは思わず「羽化登仙器」の作り方を聞いていた。千円払わなければならなかった。

 

羽化登仙器(見上げ)

 
羽化登仙器と加賀谷氏
 
 
 
 
   
 
[プロフィール]    

加賀谷幸規

  1977年卒業 大江宏ゼミ
    1954年、秋田市土崎港生まれ
1973年、秋田高校卒
1977年、法政大学工学部建築学科卒業
1977〜1983年、大江宏建築事務所
1983年、高山建築学校
1983〜1999年、六角鬼丈計画工房
1999年〜AUN(エーユーエヌ)建築事務所(代表)

http://www2.ocn.ne.jp/~aun/index.html