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大学を出てから10年間、下田に住んでいた。風待ち港、そして開国の港として栄えた下田の街には外部の人を温かく迎え入れる文化があり、コンパクトな城下町の骨格や情緒ある風景が各所に残っている。ここで私はいくつかのまちづくりの活動に参加させてもらった。その一つに、南豆製氷所の保存活用運動がある。
大正末期に建造された南豆製氷所は、伊豆半島で最大規模の伊豆石の積石造建築。製氷缶を入れるために木枠が格子状に組まれた水槽のあるダイナミックな空間、造船技術を用いてつくられたとみられる貯氷庫通路の強烈な赤錆など、この場には多くの人々を魅了する力があった。旧町内の玄関口という水辺の立地で、下田の水産業を支え続けたという産業遺産としての側面も持ち合わせていた。 2004年に操業を終えてからは、地元有志らとその保存活用を目的に様々なイベントを行なってきた。美術展やライブなどのイベントを通して空間の可能性を探り、多くの方に南豆製氷所を体感してもらったのだ。また南豆製氷に限らず、身近にある下田らしい歴史的要素を「まち遺産」として定義し、内外のボランティアと共に旧町内の悉皆調査を行ったりと、まち全体を見直す動きになった。 2007年には国の有形文化財にも登録。本来は市が所有管理してもよい種の建築であったが極度の財政難。民間でいくつかの事業化計画も立案されたがなかなか上手く噛み合うことができなかった。2014年春、老朽化による崩壊の恐れも高まり、惜しまれながらも解体された。 ----- 2015年、南豆製氷所の跡地に「NanZ
VILLAGE」という名の商業施設が創られようとしている。アイコニックな旧建物の造形を一部引用したり、実際に使われていた伊豆石を用いるなど、南豆製氷所を強くリスペクトした場が計画中で、クラウドファウンディングによって広く一般から資金を募っている。その設計をしているのが、私が下田で建築を学んだ師匠であり、現在私もその手伝いで関わっているということには少々複雑な思いもある。
その後「まち遺産」は下田市景観まちづくり条例の中に位置付けられ、数多くの「下田まち遺産」が認定されている。南豆製氷所の見えない痕跡が、これからもまち全体に残っていくことを見守っていきたい。
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