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同窓会費を一度も払ったことがないのに、エッセイのご依頼をいただいたことに恐縮しています。そこで、そんな懐の深い母校との「出会い」について書いてみようと思います。
野球ばかりしていて何も考えていない高校時代を過ごし、勉強があまり好きでないからと安易な考えで美術大学を目指すことにしました。しかし、美術大学は女の子がたくさんいて楽しそうだけれど、本当にこのまま突き進んでいいのだろうか、というこの年頃にありがちな将来の展望がみえない迷路を彷徨っていました。そんなアンニュイな日々を過ごしていた2浪目の秋頃に、「法政大学建築学科がデッザン入試をはじめる」という張り紙を美大受験予備校で見つけました。正確には、理科の代わりにデッサンを選択できるというものでした。建築デザインをそれまで意識していたわけではないのですが、なんとなくその張り紙から僕の行きつく先のヒントと将来へのキッカケのひとつを見つけたような気がして受験してみようと思ったのでした。
寒い日の多摩校舎で英語と数学の試験が終わり、いよいよデッサン試験です。試験内容は図学的な小問と「ジャンケンのグー・チョキ・パーのチョキを描きなさい」という課題で構成されていました。なんとかチョキを描き上げ、その用紙を後ろから回収するよう試験官から指示があった時に、ふと目の前の席に座る受験生の用紙を眺めてびっくりしました。そこには堂々としたグーが描かれていたのです。こんなトンチが効いた回答をする彼女の発想力はなんて素晴らしいのだろうと、ハッとしました。僕が美術大学の先生なら彼女を合格にするだろうと思いました。しかし、ここは法政大学。彼女にジャンケンでは負けたわけですが、僕はなんとか試験をパスして入学したわけです。
その後、大学院を含め法政大学に8年間も籍を置き、派遣留学生として留学までさせてもらい、修士課程修了後は人生ではじめて会った建築家である渡辺真理教授の設計事務所にお世話になり、現在に至る訳です。20歳で出会った張り紙からはじまった母校とのご縁に感謝しなければいけません。はい、これからはちゃんと同窓会費をお支払いしますよ!
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