no.060

トボトボ歩き

   

1972年卒業 IMO研(稲葉・武者・小能林ゼミ) 石黒豊明


 

  震災前年の秋、友人夫婦と4人で中禅寺湖まで紅葉狩りに出かけた。

 早朝から深夜まで渋滞の中久しぶりの長距離ドライブ。翌日、横浜駅の駐車場で車から降りようとして腰に異変が。若い整形外科医は『典型的な加齢によるぎっくり腰です』それから半月、母の介護に使った歩行補助器に縋って過ごした。カミサンの実家の向かいにある県立病院の外科医の腰痛患者への口癖は『痛く無くなるまで、ゆっくり歩いて直せ』一月後から、毎日必ずトボトボ歩く生活を開始。初めは駅まで食材の買い出し、毎日往復1時間。我家では、8年前に終わった母の介護以来、炊事は私の仕事。月に2日はカミサンと入江川緑路を抜けて新横浜の温泉施設まで往復10キロトボトボ歩く。江ノ島トボトボ歩き30キロ。城ヶ島トボトボ歩き50キロ。長距離を何回かこなすうち、横浜、東京は全て歩きで行く生活スタイルに。震災の年は4月からの4ヶ月間、一日25キロ、16日かけて、歩いて市ヶ谷田町校舎まで、合計400キロをトボトボ歩いた。電車で90分を5倍の時間をかけてトボトボ歩く、まるで江戸時代のような生活パターン。

  2年前から始めた、鉄道模型(HOゲージS1/87)のレイアウト製作。 中学時代、祖母に買ってもらった天賞堂の木製道床線路とパワーパックを活かして、4×8の9ミリシナベニヤ4枚を使った組み立て式レイアウト。普段は寝室の壁3面に納まる、その名もWall Toys Rail 20013(20013は線路の総延長距離)裏の配線、地盤、道床、線路全てを合わせて25ミリの厚みに納める。でないと以前からある寝室と子供部屋の壁際を周回するレイマン(1番ゲージS1/32)の線路が納まらない。縮尺1/87でカウフマン邸、ファンスワース邸、サボア邸そして30年前にセルフビルドで建てた我家が完成。52年間に集めた全ての車両の動態保存が今の目標。出来れば自分の体も最期まで動態保存。


 
 

Wall Toys Rail 20013

   
 
  横浜市営で見学会
   
   
   
   
   
 
 
[プロフィール]    
石黒豊明   1972年卒業(IMO研)
   

清水建設(現場監督)、芸大(研究生)を経て大学時代の仲間6人と、株式会社PLAN21を設立、現在に至る。