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社会に出るとき、建築家年表、系譜図を作成し、10年後自分がどうなりたいかどうしたらそうなれるかの計画を立てた。今年で社会に出てちょうど10年目になるが、全く思った建築家にはなっていない。今年は日本建築学会作品賞を最年少受賞するはずだった。(笑)
当時、建築界は伊東チルドレンと言われる若手建築家達が、若くして独立し活躍し始め、学生にとっては近い将来の目標であり、憧れであった。彼らの師匠である伊東豊雄らがデビューしたてのころに「平和な時代の野武士達」と槇文彦が命名したことを連想させる出来事だった。後に伊東豊雄は、彼らを「無風ニッポンのサザナミケンチクカ達」と評し、「無風」の時代にあって、さざ波を立てている若手建築家たちが大波を起こしてくれることを期待しているようだった。
建築家の新陳代謝が起ころうとしていると同時に、建築家の立場にも変化が起こっているように感じた。建築家の仕事は華美だと避難され、住民の意見を汲み取り、極めて民主的に立ち上がる建築こそが正義とされ、建築家と国家・社会との関係が薄れていくように感じていた。国家的なプロジェクトでさえ、不透明に進行し、日本の建築家が関われない機会もあり、欧米諸国の建築家と政治力の違いを感じた。一方で、地球の裏側では、南米若手建築家がどんな小さく公共性のない建築だとしても遠くまでを射程圏に捉え、大きなスケールで扱うその視座、その建築が魅力的に感じ、違いを感じていた。
これからの日本の社会に新しい建築家像が必要と思い修士設計に取り組んだ。リサーチや様々な掬い上げなどの細かで丁寧な操作ではなく、大鉈を振ったようにわかりやすく大きなスケールで骨格を創り、その中にアローワンスのある仕組みを埋め込むというもの。卒業設計にせよ、修士設計にせよ学生最後に取り組む設計は、社会に出る新人建築家としての決意表明である。
社会に出て、我武者羅に建築に向き合い実現したことは、大変感慨深いもの。ある程度経つと、様々な中心に立ってタクトを振り、俯瞰して物事を見ることもできる。時代や社会を読み、向こう何km先にまでを見つめる。そうやって実現したことが新しさを生むこと、それが社会に変化をもたらすこと。それを実感できてやっと、何か手応えを得てきた。 先日、大江宏賞11周年にあたって、当時の自分を振り返る機会があった。私は、そのときに夢見て考えてきたことのまだ途中に今の自分がいる。これから大江宏賞に望む学生には、遠く何kmも先を見つめて思いきりフルスイングして欲しい。それが、今後10年の自分の目印になるはずだ。私はここでまた、これから10年の計画を立てなければならない。 |
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