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瀬戸内の島・生口島(いくちじま)に生活の拠点を移して2年が経過した。周辺は芸予諸島と呼ばれ、瀬戸内海の中でも一番多く島が密集しているところ。多島海が美しい。折り重なる海岸線は、どこが入江になっているのか瀬戸や水道として抜けているのか、現地を良く知っている人でないと全然わからない。かつて、水軍が発達したのもうなづける。その入江となっているところ、あるいは水道となっているところに集落や町が形成されている。 生口島の南側、南斜面は比較的緩やかな斜面や緩やかな入江が続き、入江や岬を巡ると次の集落があるという感じで、とても牧歌的で素朴な環境が広がる。 そんな素朴な環境での祭事の話をしてみたい。一つは、私の暮らす集落『御寺』(みてら)地区での『盆踊り』。現在、この集落では、3度、日にちと場所を変え、盆踊りが踊られる。音頭は『口説き』(くどき)と呼ばれ集落独自の節回しで歌われ踊られる。最初は『十七夜』の夜に、海辺にある『浜の宮』と呼ばれるお宮で行われる。かつては『管弦船』を設え、沖を練り隣の集落の『浜の宮』に宮入り、また、遠く昔は宮島の『厳島神社』まで船を出していたとのことだが、船を仕立てることは廃止になっている。 加えて、旧盆にお寺の境内で行われる『新盆の供養踊り』。集落には2ヶ寺ありそれぞれの境内で行われる。だから、提灯や太鼓等、盆踊りのセットは、設営移動がとても簡単なシンプルな構造になっている。櫓をつくろうかという案もあったとの事だが、3箇所も場所を変えて設営するのは大変なので採用されたなかったとのこと。センターにポールを立て四方向へ提灯の帯を延ばすだけで、立ち所に盆踊りの設営ができる。簡素ではあるがとても洗練されている。 もう一つは、隣の集落『原町』の祭事。秋祭りの際は、集落の上にある『天満宮』から御神輿が町を練り、初日は海辺の『宮島さん』の御旅所に。二日目は、海辺の『宮島さん』から町中を練り山辺の『天満宮』に戻る。よくできている。また、かつては『十七夜の夜』には、おかげん船(管弦船)が沖を練ったとのこと。『里山』『里』『里海』の五穀豊穣や安寧、航海の安全を祈りお祝いしていることがよくわかる。現在は、十七夜の夜に海辺の『宮島さん』境内で『子ども相撲』が行われる。 7月末、瀬戸内の盛夏はとても暑い。訪ねた日は夕暮れ時から少し風が出てきて、人々も参集し随分といい感じになってきた。そんな中、お宮境内で『子ども相撲』が行われる。少し引いてその様子を写真に撮ったら、黄昏の空と山影、土俵を取り囲む様子がとても美しい。流れている時間、人の集まる規模、空間のスケール、素材、等々、どれも簡素だけど洗練されていて文明を感じる。漫画『日本昔ばなし』の絵のようでもある。路地空間の雰囲気にも似ている。このような空間をつくることは本当に得意なんだと思う。 |
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