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どこのまちも同じような風景に更新されていく。 それはなにか、そのまちのスケール= 地域経済とかけ離れた、大きな流通や仕組に支配されている、と感じることがある。人口縮退時代において、まちが「選ばれる」側となった現代、今後それぞれがいかに個性的・魅力的で、同時に経済的に持続可能であるかが、人を呼び込み生き残る鍵となるだろう。 そんな中、現在の「建築家」の役割についてもどかしさを感じることがあった。 果たして建築家は本当に、そのまちを豊かにしているのだろうか。 なにか、まちの【リアルな豊かさ】を追求するポジションが足りない。 もどかしさと同時に、建築家はそのポジションを担うのに適した教養と技術を有している、という希望も感じていた。 宮城県岩沼市へIターンして四年になる。地方都市に移住したのは、漠然と「その土地ならではの風景」が残っているのではないかと、一種の希望のようなものを抱いたのも理由のひとつだ。実際岩沼市の奥州街道沿いには今でも魅力的な古い蔵や町家が残っている。しかし、こうした地域資源を活用した店舗などは極めて少なく、取り壊しが進むのを目の当たりにすると、よくある住宅街になるのも時間の問題というかんじだった。 そんな中、移住して二年目の秋、奥州街道の裏道、岩沼市館下の緑道に面した築60年の古家と出会った。小石が投げ込まれガラスが割られたボロ家ではあったが、そのシルエットと魅力的な梁組みを見たとき、この今にも消えそうな地域資源を次の世代に継いでいきたいと想った。そして、出会った翌春に購入し着工。二世帯住宅と設計事務所に改修し、さらに美容室を増築。この複合施設と広場全体をコモンスペースにしたいという想いからTateshitaCommon(館下コモン)名付けた。今後「民地公園」としてストリートファニチャーやピザ窯などを設置予定である。 こうして評価額ゼロ円の古家と出会い、岩沼というまちに不動産を持ってみて、このまちを自ら面白くしたいと思う気持ちがより一層強くなった。 まちの【リアルな豊かさ】を考える様になり、ふと思い出す三原則がある。 まずは自らが当事者としてSelf Helpし、このまちを住まいながら「歩いてたのしいまち」に盛り上げていきたい。そして、常にOpen Endに、様々な人とCollaborationしながら、現代における建築家の職の可能性を模索していきたい。 |
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