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建築設計の仕事に携わるようになって、すでに50年近く経ってしまった。その間、私のライフワークとなった幼児施設づくりでは、多くの素晴らしい施主たちとの出会いがあった。特に理想とする保育の為ならば、どんな苦難もなんのその、火の玉の塊みたいな熱い情熱で乗り越えて行こうとする施主達との出会いである。そして、共に保育園舎を幾つも造り上げる仕事ができたことは、誠に楽しく人生の至福となっている。そんな尊敬する施主たちを少し、紹介してみようと思う。 K保育園は、小さな家作で共同保育をしていた親達から認可保育園の設計を依頼された。夫と私は事務所を開いたばかりの若輩で、何も判らずに建てた園舎を園長と支援者は目指す保育実現のために更に補助金を何回も引出し、大増改築を繰り返し、多方面に子供たちの為にと訴えて、1ケ月で1億円近い寄付を集め、広い園庭を買足す等、気付けば4園舎を建設。子どもの豊かな育ちの場として、保育と園生活の環境、地域との関係がどんなに大切かを私は園長から学び、設計のお付き合いをさせて頂いた40年間であった。園舎設計の私の原点となっている。 小川の造る木造園舎は良いらしいとご依頼下さった東御市に建つU保育園。建て替えを機に保育の改革を決心した園長は伝統的建造物群保存地区という古い地域の中で、地道に実力者たちを説得し、順番に扉の鍵を開けるように味方に付けて行き、市を動かして建設に漕ぎ付けた。園庭計画では子どもが遊べる森を提案すると、半年後には近くの千曲川の河原の林を遊び場として借り上げ、森番のボランティアまで確保していた。園庭の大きな泥山と菜園をつくる為に、3年後には隣地を購入し、敷地は2倍となった。園舎が出来たことで、保育に対する自信が園長を更に目覚めさせたようだ。驚くばかりの実行力である。 同時期に豊川市に建設したE保育園。空き地にテントを張って始めた共同保所から、NPO保育園となり、ついに認可保育園+障害児ディサービスの複合施設建設となった。舞い上がり理想に燃える園長と事務局、ガツンと現実に呼び戻す園長の夫君、間に入って仲裁する保護者代表の若い4名の建設委員の役割分担が絶妙にサポートし合って力を発揮し、困難な補助を受けることができた。地主さえ知らない隣地を見ながら、此処に学童保育所を建て園と橋でつなぎ、ポニーも飼ってと、園舎が竣工する前から夢は早くも歩き始めている。きっと、近い将来には実現しているだろう。 どの園も補助金交付を受け認可園とするためには膨大な行政、地域との交渉時間と努力が必要となる。それを可能とするのはやはり「子供たちの最大の利益となる保育」を実現させたい保育者の強い情熱と、熱意に共感し支援する人々の力である。 設計者として、施主たちと人生の一部を共有した幸せをかみ締め、とっくに高齢者の仲間入りをした今も、設計者冥利に尽きるこの仕事から足が抜けそうにないこの頃である。 オファーがある限り! |
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