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欧州に渡って27年。16年のミラノ生活を経て、ベルリンに居を移し、1957年IBA国際建築博覧会の時に建てられたオスカー・ニーマイヤー設計の集合住宅に暮らして11年。時を経てなお力強く新しいその住宅の体内で、矢も楯もたまらず、憑りつかれたように翻訳した本が出版された。 「ニーマイヤー104歳の最終講義―空想、建築、格差社会」(オスカー・ニーマイヤー著、アルベルト・リヴァ編、阿部雅世訳・装丁、平凡社) 世界遺産ブラジリアの設計者として、104の歳まで生涯現役を貫いた巨匠オスカー・ニーマイヤーが、格差の時代に生きる現代の若者たちに遺した珠玉のラストメッセージ。彼の最後の本である。イタリアのモンダドーリから出版されたペーパーバックの小さな原書を読んだときに、最初に思い浮かんだのは、2009年から法政建築の講師の一人として担当している、夏期集中の造形スタジオ講座で出会った、若い院生、学生たちの顔だった。「この言葉は、何よりも、彼らに伝えなければ!」。この思いがなければ、私は、この本の翻訳はしなかった。 本は、オスカー・ニーマイヤーが、―鉛筆も持たず、紙もないところで、私は絵を描いていた。 宙に腕を振り上げて、力いっぱい絵を描いていた―という、少年時代の思い出を語るところから始まる。そして、彼は言葉を続ける。 ――空想とはなにか。そう問われたら、私はこう答える。 「空想とは、暮らしやすい社会を探求する力である」と。―― ニーマイヤーは、空想力で未来を創り続けた建築家だった。空想や美しい造形は、余裕があるときの楽しみごとではない。先が見えない絶望の中で道を切り開こうとする時にあってこそ力を発揮する、人間の永遠の喜びに支えられた強力な技だ。想像力と創造力。自らの中のこの二つの力を社会に向けて最大限に開放した時、初めて未来は描かれる。 その比類なき創造物を世に残した無双の造形力から「建築家というよりは彫刻家」と評されることも多かったニーマイヤーの仕事の根底には、常に「人が人として生きられる社会をつくるために、建築にできることは何か」という問いがあった。それは、日々実務の忙しさにかまけて、野ざらしにされ続けてきた根本的な問いであり、この格差社会の中で、建築を学んで世に出ようとする若者たちが、悲壮なほど切実に自問し続けている問題そのものだ。 妥協せず、言い訳もせず、開き直ることもせず、ひ孫玄孫の世代が今日直面している問題を的確に共有し、齢百を超えて自ら最前線で戦い続けた建築家。ニーマイヤーを104の歳まで生涯現役足らしめていたのは、その生きる姿勢にあったのだと思う。
「こうありたい」と思える大人を心底渇望している、法政建築の学生たちに、院生に、卒業生に、彼の言葉を捧げます。
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