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ここ数年、新宿・歌舞伎町で昭和の娯楽文化(名曲喫茶やキャバレーなど)を支えてきた台湾人華僑の足跡を追っている。その多くは、戦前の日本統治時代に内地(日本本土)留学して、東京で敗戦を迎えることになり、戦後はヤミ市から再スタートをきった人びとである。歌舞伎町の雑居ビルに彼らの同胞組織がある。台湾人古老から、いろいろな話を聞かせてもらううちに、彼らが少年時代を過ごした故郷(台湾)へ行ってみたくなった。 日本の統治は日清戦争による台湾割譲以来五十年間続いた。その間に日本は、植民地統治の一環として、行政・農政・教育など様々な分野で体系的整備を行い、鉄道敷設やダム建設・治水工事などを進めた。そのため台湾には、日本統治時代の建築や産業遺産が数多く残っている。 2015年秋、台北駅から特急列車に乗って4時間余り、昭和初期の駅舎が今も使われている「台南駅」(1936年)に降り立った。白い駅舎のなかは天井の高いコンコースになっており、その2階の回廊奥には、かつて国内外の賓客を迎えた「台南鉄道ホテル」があった。 台南は、懐かしい台湾らしさに出会える街として人気がある。屋台が多く食べ歩きも楽しい。2013年に「林百貨店」がリニューアル・オープンした。山口県出身の林方一が、1932年、台南一の目抜き通りに開業した百貨店である。そのモダンな外観は台南の人びとを驚かせた。しかし太平洋戦争中に米軍の空襲を受けて廃業。戦後は国民党政府等に利用され、やがて空ビルとなって長らく放置されていた。そして現在、オシャレな雑貨やカフェが入るセレクトショップとして甦っている。旧式エレベータで屋上に出ると、商売繁盛を祈願する社跡があった。百貨店の壁面には爆撃跡が当時のまま残っている。 次に高雄で、帝冠様式の「高雄市立歴史博物館」(1938年、旧高雄市役所)や、木造の老駅舎を利用した小さな博物館「打狗鉄道故事館」を訪ねた。ここは初代の高雄駅だったが、その後は貨物駅として利用されてきた。 台北に戻って、「建成尋常小学校」(1919年)を訪ねた。赤煉瓦と白い窓枠が美しい2階建ての建物である。現在は、台北市当代芸術館(モダンアート美術館)として利用されている。小学校の教室や廊下が雰囲気のある展示スペースになっており、ときどきワークショップなども行われているようだ。
最後に、日本による統治を象徴する「台湾総督府」(1919年、現・台湾総統府)へ向かった。中央にそびえる塔が印象的な煉瓦造の建物である。日本人を案内するボランティアガイドは、戦前に日本語教育を受けた高齢の男性である。「中国大陸から逃れてきた国民党政府は空襲被害を受けた総督府を取り壊そうとしたが、台湾人(本省人)が『東洋に誇るこの美しい建築を残すべきだ』と主張して修復された」と聞き感動した。このような人びとのお陰で、日本時代の歴史的遺産が現代まで保存・活用されてきたことに、あらためて感謝したい。
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