no.089

上海便り
   

国分 拓郎(2007年修了 陣内ゼミ) 


 

 こちら上海に住んで七年経っている。七年もこの地にいるとこの街の変化をよく感じる。 二〇一〇年上海万博時、街は建設ラッシュであり、上海ドリームを信じる多くの人でギラギラしていた。混沌の中でお金が生まれ、そして消費を繰り返した。景気が落ち着きをみせると同時に、人々はみな少し醒めて、大人びて、リスクを恐れ、安定した生活を求めるようになった。特に夜の上海は随分と静かになった。留学が当たり前となった学生達は、学歴を上げることに夢中で、そうでないと希望通りの会社に入ることは難しい。しかし貧富の差や戸籍の差はどうしても埋められない差があるのもまた現実である。九〇年台以降に生まれた若者たちは、努力をすれば何でも手に入るといった教育を信じているようには思えず、八〇年代以前生まれとの大きな世代ギャップがある。

 建築業界についても、景気の落ち着きと共に随分と落ちつき、それに伴い競争が激しくなっている。上海、北京の開発は落ち着き、中国内陸部での開発へシフトしているが、昔ほどの過剰な投資はしていないように思える。プロジェクトが減った為、昔は多くいた外国人達は自国に帰っている。さらに今年から、外国人のワーキングビザを厳しくし、新たに入国する外国人を規制するようだ。中国は他の先進国に益々似てきているということは間違いない。景気の落ち着きは、量から質へと変化するいい作用もある。いわゆる乱開発や、ファストファッションのようなファサードのみの建築も幾分かはなくなり、徐々にいい方向へ変化しているとは思う。勿論まだまだ乱開発はあるのだが。

  と、まあどこの社会でも色々大変なのだが、建築設計は愚直に前に少しながら進む作業であることは変わりない。その手順はいつだって地味で、スタイロを切って、ボリューム検討を繰り返し、図面を描いては修正を繰り返し、3D ソフトを立ち上げて、確認を繰り返す連続である。そして、クライアント、施工者、様々な関係業者と打ち合わせをし、調整に調整を重ね、形に落とし込んでいく。地味な毎日はただひたすら建築に向き合う作業であり、それはどこ国であっても、どこのアトリエとて、同じであろう。

 現在プロジェクトは公共施設が多く、何千uから都市計画になると何百万uまでになる。美術館、音楽ホールを始め、政府系機関オフィス群やホテル、別荘等がある。コンペと実施設計にわれる毎日であるが、プロジェクト規模は中国ならではの魅力がある。このハードな日々はチーム一体となって取り組む訳だが、提出後の開放感、そしてコンペを勝ち取った時の達成感、クライアントの感謝はやはり格別なものがある。そしてまた前に進んでいく。

 上海の春は素晴らしく、プラタナスの新緑で包まれた旧フランス租界地を散歩するととても気持ちがいい。お気に入りの小籠包を食べてぶらぶらしていると、随分と私も現地化したものだなと思う。

 

 
洗濯物は上海の風物詩
   
 
  旧フランス租界地のプラタナス
   
老房子と言われる建築は今も現役
   
 
   
   
   
   
 
[プロフィール]    
こくぶん たくろう    
国分 拓郎 2007年修了 陣内ゼミ

   
1981年 埼玉県生まれ。
2007年 修士課程修了(陣内秀信ゼミ)。
2007〜2009年 不動産会社企画設計部。
2010年 上海渡る。
2010〜2016年 HMA Architects & Designers。
2016年〜 磯崎新+胡倩アトリエ上海事務所に所属。
趣味は海外旅行。