no.094

大工塾のあるべき姿を求めて
2018年4月  

山辺 豊彦(1969年卒業 青木ゼミ) 


 大工塾の始まりは「建前学校」。回を重ねるうち、「もっと体系的に勉強したい」という意欲的な声が聞かれるようになり、「大工塾(1998年〜)」へとつながった。ここまでは、設計の丹呉明恭氏の活動であり、丹呉事務所で開催していた。大工塾の一期生は、この流れの中で参加した個性的かつ熱心な連中で、現状の家づくりで遭遇する様々な部分に疑問を持っていた。「どのような木造住宅を造ったら良いか。」「本来あるべき技術はどのようなものなのか。」―その答えを探していたところでもあった。

  「大工塾」は、丹呉事務所と私の事務所の共同開催で、丹呉氏と私で設計と構造の講義を分担し、それ以外の講義は外部の講師に依頼するかたちで続けてきた。塾生の多くは若い大工であり、お金がないにも関わらず、遠方から交通費をかけて来てくれている。多額の受講料はとても要求できず、講師の方々にはボランティア同然の講義料でお願いしている状況である。

 講義は月1回第四週の土曜、日曜を連続講義として開いている。1年間で合計12回が一コースとなる。1期目から3期目までは朝霞台の材木屋さんの庭の擁壁を反力壁に拝借して、鉄骨フレームで加力装置を製作し、加力ジャッキはpsメーカーから借用して全て手造りの試験方法で実験を行った。4期目から東洋大学と共催し、川越市にある同大学工学部の施設を借りて開催することになった。「構造実験」は大学時代青木ゼミにいて、鉄筋コンクリート造シェル構造の実験以来である。木造は大学では教えないので、木造の実験は大工塾で初めてであるが、この実験が私に何よりも大きな成果をもたらしてくれた。この実験の講義は公開している。毎回噂を聞きつけて見学者が集まり、合計すれば相当の数になるだろう。他の公開講義にも一般の方が見学に来ている。環境問題の講義などは特に関心が高いようだ。

 「大工塾」という名称から大工技術を教えているように思われがちだが、主なテーマは一期目の問題意識から引き続いて、「この社会の中でどのような大工を目指すのか」を考えようというものである。だから、大工技術を直接教える講義はなく、木構造や環境問題、大工の生き残り方などが講義の中心で、具体的かつ実践的であることを心掛けている。
 特に木構造に関係する内容が講義の半分を占めている。「現場で使える構造力学」を目標に、木造住宅の耐力壁の実大試験体を製作して水平加力実験を行ったり、仕口部分の引張試験を行ったりしている。試験体は塾生が製作する。「目で見て、体験して、構造力学(力の流れを)を理解する」ことを目標としている。このような複数の実験を「体験」することで、木構造に対する塾生の意識は確実に変わっていく。塾生たちは切実な問いを有しており、実践の中でその答えを確実につかんでいくと思っている。

 

 
手押しジャッキで加力し曲尺で変位を測定しながら、壊れ方や強度を体感し、改良点を話し合う。
   
 
耐力壁や床の面内せん断に加え、梁の曲げや継手仕口の引張など、要素実験をひととおり行った。
   
強度だけではなく壊れ方の履歴を見ることで、実務で用いるときのポイントも学ぶ。
   
 
   
   
   
   
 
[プロフィール]    
やまべ とよひこ    
山辺 豊彦 1969年卒業 青木ゼミ

   
1946年石川県生まれ。
専門は構造設計。
1969年本学卒業(青木繁ゼミ)。青木繁研究室を経て、1978年山辺構造設計事務所を設立。
1998年から「大工塾」を丹呉明恭建築設計事務所と共同開催。
著書『ヤマベの木構造』(エクスナレッジ)、『渡り腮構法の住宅のつくり方』(共著、建築技術)他多数。