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見上げるとそこにはクライスラービル。ニューヨークに自分の存在を実感する瞬間だ。オフィスに向かいながら今日一日への期待と不安が入り混じる心境を凛と正す。気がついたらニューヨークに移り住んで7年目になる。 海外に興味を持ち始めたのは16歳の頃だった。昔から挑戦好きで、テレビの向こう側にはハリウッド映画界で活躍するセットデザイナーの日本人女性の姿があった。人生の節目には必ずきらきら輝いている彼女の姿を思い出す。 ニューヨークでインテリアデザイナーとして現地の会社で働いていると言うとかなり聞こえが良いかもしれない。道のりは平坦でなかったために、自身でもここまでたどり着いて誇りに思うものだ。しかし国際的なオフィスでは毎日が競争である。ニューヨークで『欲しい物を主張して手に入れる人』を「アサーティヴな人(Assertive person)」と呼ぶ。辞書では独断的な、我の強い人などと否定的に定義されていることが多いが、実生活では「自分の考えをしっかりもった人」という誉め言葉だ。主張ができて、実力がある人ということだ。このような教育を受けたアメリカ育ちの同僚と渡り合うのは至難の業である。ネイティブレベルには届かない英語力で、主張したいことをタイミングを逃さず、相手に理解してもらえるように説得する必要がある。日本人として育った私は、「相手の話をよく聞かないと失礼にあたる、頂いた仕事は有難く真面目にやらないと評価が下がってしまう。」など心配ばかりして、なかなか理想像に近づけない。ネイティブではない周りからは『焦らなくていい。生まれたときから討論の訓練を受けているアメリカ人を抜こうったって急には成し得ない。』と慰められるが腑に落ちず、毎日このジレンマから抜け出す方法を探していた。 そんな中、ニューヨークとは世界中からの可能性を秘めた街である。長年の縁が元となってチャンスが巡ってきた。それは通常なら不利となる言語が、日本語も話せるバイリンガルという強みに変わった瞬間だった。英語が苦手な新規見込みの日本人顧客をオフィスにご案内し、通訳しながらプレゼンテーションをすることになった。文化的にも日本人の教育を受けている私のおもてなしの心で、アメリカ人の上司では思い付かないようなことを準備できた。「非常に温かく迎えてもらって感激している。」というお客様の一言は忘れない。同席した支社長からプレゼンテーション後にメールが入り、私の目が大きく開く。
追い風を感じ始めた。
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