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4月に満69歳となり、友人達が冷やかし半分で2回も古希パーティを開いてくれた。満60歳の還暦のお祝いがほんの数年前に感じられる。本当に時の流れは早いものである。 昭和46年に建築学科を卒業してゼネコンの設計部に就職した。自分の描いた図面が現実に建築の姿になっていく設計業務の魅力に夢中になり懸命に実務経験を積んだ。1年半近く勤務した頃、結婚を機に生まれ育った北海道に戻り、その土地で自分の建築を造りたいという希望が強くなり、6年間の東京生活にピリオドを打った。 その後、札幌の地元の建築設計事務所2ケ所でお世話になり、貴重な経験と理解あるクライアントとの出会いを得て29歳の時に自分の事務所をスタートさせた。 北国札幌の建築環境は暖かい本州と比較すると本当に厳しいものがある。取り分け寒さと雪が中心だが、それらを解決する答えと手法は、この20年間に大きく飛躍し、新しく安全な工法がほぼ確立した。更にガラスと断熱の新技術、暖房技術の発展で,北国の室内環境は一変した。特に外断熱を駆使したRC造の建築は、コンクリートの厚い壁面に蓄熱させる事により、人に優しく快適、かつ清潔な建築空間を実現させてくれる。また外断熱建築は永続的に使用する空間、特に住宅や老人施設、宿舎等の建築には最適だと思っている。 独立後は北国の住宅建築を中心に活動している。四季の変化がはっきりとしている北海道らしく美しい自然を享受しながら、快適に生活ができる住宅をいつも目指している。一般的に邪魔者扱いされる雪も中庭や窓の演出で美しく輝き生まれ変わる。 東京に比べると土地代がまだ安価な為、敷地面積も100坪以上の物件が多い。敷地と周辺環境を良く読み、北国の光、風、緑そして雪を愛で、長いアプローチで導かれる住宅設計を夢見ている。 12年前、22坪の狭小敷地に建っていた木造の事務所をPC造5階建てのビルに建て直した。1,2階を事務所、3,4階をテナントスペース、5階を天井高5メートルの空間のプライベートバーとした。大学時代ジャズに嵌まり、建築よりも音楽に傾倒してしまい、大学2年の冬まで銀座のクラブでジャズギターを弾いていた。しかし同年代に凄いプレイヤーが何人も活躍している姿を見て、また建築の道に戻った。その頃から1931年デトロイト生まれの偉大なジャズギタリストのケニー・バレルにずっと憧れてきたので、バーの名称を「KENNY BURRELL」とした。 夢はケニー・バレル本人が来日し、このスペースで演奏をしてくれる事。一昨年には本人から直筆のメッセージが届き、大切な宝物としている。 日本全国からジャズプレイヤーが来札時にはこのバーでLIVEをしたり、建築家の集まりや講演会にも積極的に利用している。10年程前から川口衞先生も来札時には度々この空間を訪れて下さり、講演会や先生の得意の民謡をご披露して頂いている。 これから何年建築の仕事を続けて行けるか自分でも分からないが、命ある限り建築の道をしっかりと歩んで行きたい。
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