no.115

資産価値【継がれていくモノ】
2020年1月  

大上 弘太郎(1992年卒業 吉江ゼミ) 


 

  大学を卒業後東京で勤務し、その後出身地の関西(神戸市)で勤務しましたが、人の集まる街並みが場所を変えても同じように見え、いっそのことド田舎なところのほうが個性的なのかもしれないと思いここ長野県諏訪郡富士見町に越してきました。
(暑いところに懲りたこともありますが)

 富士見町で設計事務所を開設し、設計のお仕事とあわせて薪ストーブと雑貨のお店の運営をしております。
 火のある暮らし、日常生活をどのように楽しんでいただくか、という提案からこのような事務所形態になりました。

 この町は経済成長期に特に景気の波に乗らなかった感があり、豊かな自然の景色が見渡す限り広がっています。
 富士山にはじまり、八ヶ岳、南アルプス、北アルプスの山々に囲まれたロケーションの中、建築現場への移動は日々観光気分です。

 こういう土地柄なので、建築設計するにあたりましては“外観のデザイン”についてはかなり悩みます。
 “内観のデザイン”に関しては個人の好みで許されるところがあると思いますが、外観は“地域の共有財産”であるからです。
 自然豊かな”緑”に囲まれ、晴天率の高いこの地域は空の”青”もとても美しいためそれらを阻害するようなデザインは地域の景観を壊してしまう可能性があります。
 地域の景観が壊れ始めると、魅力のない景観の街となり、魅力のない街の建物には”資産価値がない”、建物単体に価値があるのではなく地域に価値があるという観点においての共有財産です。

 この町の都市計画に関するお仕事もさせて頂いておりますが、議題として他地域と同様に少子高齢化の問題が節々でます。
 街の存続が問われるという時世ですので、人が集まる魅力のある街、そして”資産価値のある街”へと発展していく発想で”後世に繋がるモノづくり”に携わっていきたいと思います。

 100年後、私の設計した建物が高値で取引されていることを夢見て。

 

 

 

 
傾斜地に埋もれる『森のガーデン』
   
  林の中の陰になる『無彩色』
 

 

 
  長野県富士見町の『緑と青』
   
   
   
   
   
   
   
 
[プロフィール]    
おおうえ こうたろう    
大上 弘太郎 1992年卒業 吉江ゼミ

   
東亜建設工業梶Aみずほ信託銀行、
ハウスメーカーを経て大上弘太郎一級建築士事務所を設立
兵庫県淡路島生まれ(タマネギ、好きです。)


大上弘太郎一級建築士事務所