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大学卒業後30年間、建築土木の工事や設計に携わり、こうして振り返るのは初めてかもしれない。今でも憶えているのは小学3年の頃、大工になりたいと思った。 学校の帰り道、かんなで木を削る匂い、建築中の現場の横道を通るのが好きで、廃材や大鋸屑をもらって帰るのが楽しかった。実は小学中学時代はまるで喋らない人間、人の話を聞くのが好きで数学だけ気合い入れて勉強していた。 いま思うと、あの頃から聞き手にまわるというのが仕事(構造設計)の基本をつくっていたのかもしれません。 現在に至るまで住宅営業設計や土木現場で現場監督を経験し、約10年前、構造設計の業界に飛び込んだ。ある現場で素晴らしい構造図と出会ってしまった。これを見たら大工さんから何も質問が来ないじゃん、って。 構造計算書の検討など書き込み満載、言葉いらずの一発で伝わる図面。ただ現場とのコミュニケーションが薄くなるという反面性もある。独立当時、喋り下手な自分はそれを目標とするもスタッフへの指示は細か過ぎ主張のぶつかり合いに。 当たり前だが会話間で口から発する言葉の重みは大きい。相手の感性やテイストも伝わってくる。小さな積み重ねだが、これからもこのコミュニケーションを大事にしていきたい。現場に行ったら必ず職人さんに声掛け、なんでもいいから話を(笑)職人さんは匠の技を教えてくれて、それがまた記憶に残る。現場は初心に戻れる場所でもある。
職人技といえば、三年前、小林一元先生、山中信悟氏と保育園幼稚園の設計に携わらせて頂きました。園児250人の命を預かる園舎の設計で、小林先生は園児達の安全を第一に、子供たちの行動に想像を膨らませ、100%国産天然無垢材で木を活かした空間づくりの意匠、腰屋根による通風性、角垂木を用いた屋根、曲げ強度が高い太鼓梁を取り入れた構造計画で設計した。 最近想うこと、構造設計は意匠からのお願い(図面)をまともに受けては良いものは創れない。依頼が来たらイキナリ構造のダメ出し、早ければ早いほうが良い。これやらないと不完全燃焼になるから、とりあえずメールでも電話でも何でも言ってみる。 ダメ元で言うと意外にも採用され構造計画がやりやすくなったことが何度も・・コミュ力が鍛えられる瞬間である。 日々、お施主や意匠設計者とのコミュニケーションのなかに構造設計のヒントは隠れていてアイデアは生まれてくる。頭のなか整理して一つ一つ丁寧に、ちゃんと伝わっているか確かめたい。大事なのは、しっかりと構造計画に「向き合えてるか」ってこと。仲間の構造設計者がよく言ってます。 お客様から頂いた言葉、建物の設計も重要だが、「どこの誰とどのメンバーで仕事をするのかが一番大事だ」と仰った。実にそう思う。 いままで、意匠設計者が建築主とのコミュニケーションを担っている存在で、構造設計者は裏方だと思っていましたが、最近お施主からの構造指名が多く、熱く語っています。40年前大工さんになりたかった自分には想像できませんね。 また、語り場といえば、私が主宰する二つの勉強会「構造thinksの会」と顧問先の「土木建築勉強会」があります。12月にメンバー2名から二級建築士合格の知らせがあり嬉しかった。来年は一級建築士を目指すという意気込みに溢れた後輩達に囲まれている今の環境に感謝したい。 令和二年、コロナ禍の某日、節目の定期講習へ向かうなか久しぶりの同期から、このエッセイ依頼の連絡あり、節目の日に依頼が来るのも何かのご縁かと思う。このエッセイを通じ、周りで支えてくれた人達のこと思い出し、自分自身振り返りの機会を頂いたことに感謝します。 令和三年、大変な状況が続くかと思いますが、住宅・建築思想を変えてくれる時代になりそうです。
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