no.133

〇と△ ―ウィーン都市私観
2021年7月  

矢嶋 一裕(2005年修了 渡辺ゼミ) 


 

 2020年9月からウィーンで活動を行なっています。建築家アドルフ・ロース(1870年-1933年)の生誕150年イベントやロース設計による建築の修復工事に携わるためです。昨年は新型コロナウイルスの影響によって世界各地で活動が制限される困難な年となってしまいました。ウィーンにおいても、長期の厳しいロックダウン措置が行われ、外出制限や家族以外との面会制限、もちろん2020年に予定されていたロース生誕150年イベントも延期となってしまいました。そんな状況においても健康維持のために許された散歩を理由に都市散策に出掛けると、これまで気がつかなかったウィーンの新たな魅力に出会えるから不思議なものです。きっと新型コロナウイルスの影響で姿を消した観光客に代わり、ウィーンという都市そのものの姿が露わになったからかもしれません。そんな素顔のウィーンを考察してみようと思います。


 それぞれの都市はそれぞれの構造をもっています。東京は皇居を中心に集約され、パリはルーヴルから続く軸線によって規定されています。明確で特徴的な都市構造が、都市の魅力をつくりだすのかもしれません。東京を「・(点)」の都市、パリを「−(線)」の都市とするならば、ウィーンは「〇(円)」の都市といえるでしょう。なぜならウィーンはリングシュトラーセと呼ばれる円環状の道路によって規定されているからです。かつて円環部分には稜堡という巨大な空閑地が存在しました。首都中枢機関のあった旧市街を防衛するために造営された稜堡は、いつしか拡大する都市を分断する邪魔モノとなり、皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の決断により1859年から大改造が行われます。稜堡が取り払われ、リングシュトラーセとそれに沿うように公共建築と集合住宅が建設されます。それらの建物は過去の様々な様式を纏い、リングシュトラーセに面しているという共通点以外は相互に関係性を見出すことは出来ない建物群となります。1898年、そのリングシュトラーセ沿いの建物群を借り物の衣装を着た見せかけだとして批判したのがロースです。その時のロースは建築家としての実績はなく、2年前に建築家を志してウィーンにやってきたばかりでした。1911年、ロースは厚塗りのファンデーションや過剰なマツエクを排したスッピンの建築をミヒャエル広場に完成させ物議を醸します。現在では建築家の名を冠したロース・ハウスとしてよく知られた建築となっています。


 ウィーンは東京と同じ23区から構成されています。リングシュトラーセに囲まれた1区を中心に、1区の東側に位置するプラター地区を2区として時計回りに23区が配置されています。4区に住む僕の好きな風景のひとつが最寄りのバス停からみえる風景です。下り坂になった街路の先にひろがる風景にコレといった特徴があるわけでもないにもかかわらず、なぜ惹かれるのかと考えてみると、その風景をみる経験にあるように思います。ヨーロッパの都市は、どの街区においても中庭を囲むように街路に接して建物が建てられているため、街路から望む遠景は街路幅に限定されてしまいます。それに対して、バス停右手の街区は街路からセットバックして現代的なオフィスビルが建てられているために、そこで一気にそれまでの縦長の風景が横へと展開するのです。横への展開によってひらけた何気ない風景をよく眺めてみると、そこにもウィーンをかたち造る都市構造が潜んでいることに気がつきます。横長に遠望できることで防空要塞である「高放射塔」(Flakturm)の存在が確認できるようになるからです。


 1907年、ロースと同じように建築家を夢見た田舎者の青年がウィーンへやってきます。その青年はロースとは違い、リングシュトラーセ沿いの建物群に魅了され、何時間も見つめていたといいます。しかし、その青年はウィーンでは何者にもなれず夢に破れたままウィーンを去ることになります。それから30年後、その青年はアドルフ・ヒトラーという征服者としてウィーンに戻ります。ヒトラーは敵軍の爆撃機を撃墜するために、リングシュトラーセを内包するように高放射塔を2基ずつ3箇所に建設します。〇を防衛するために上空で結ばれた不可視の△を形成したわけです。高放射塔は、ベルリンなど他の都市でも建設されましたが、当時建設された6基すべてが残るのはウィーンだけです。バス停からみえる遺構は1944年に建造され、厚さ3.5mにもおよぶ鉄骨鉄筋コンクリート造による強固な壁が戦後の解体を拒み、現在はオーストリア陸軍によって利用されています。6基のうち唯一オーストリア軍所有のために近づくことのできない遺構が、バス停から眺められるというわけです。

 ロースとヒトラー。建築家を夢見た二人のアドルフが直接交わることはありませんでしたが、ヒトラー占領下のウィーンにおいてロース・ハウスは空爆を受けて損傷し、戦後に修復されています。二人が見つめたリングシュトラーセ沿いの建物群は、現在も当時の姿をとどめたままウィーンの輪郭を形成しています。建築家を志す現代の青年にとって2021年のウィーンは、どのように映るのでしょうか。新型コロナウイルスの影響によって姿を現した素顔のウィーンへ、ふたたび探索に出掛けようと思います。


ロース・ハウス
 
バス停からの眺め
 
バス停からみえるのと同型のアウガルテンにある高放射塔
 
※写真はすべて筆者撮影
 
 
 
 
[プロフィール]    
やじま かずひろ    
矢嶋 一裕 2005年修了 渡辺ゼミ

   
1976年埼玉県生まれ。現在、文化庁新進芸術家海外研修制度を利用してウィーンに滞在中。
「建築は内部から外部に向かって設計しなければならない」としたアドルフ・ロースの建築理論から大きな影響を受け、『傘庵』という作品に代表されるように人間の身体を中心として身近なスケールから空間を考えている。
これまで英国王立建築家協会やコンプトン・バーニー美術館(英国)での展覧会、ラトビアやキプロスでの国際芸術祭等に参加。
2022年はリトアニアでの国際芸術祭への参加が予定されている。
2016年にはチェコの西ボヘミア大学で講師を務めた。
ar+d Emerging Architecture Awards(英国)など受賞多数。

HP: http://www.kyarchitect.info/
e-mail: yajima.architect@gmail.com

※二度目のエッセイ執筆のご依頼をいただいたことを光栄に思っております。前回のエッセイはこちらで読むことができます。
http://www.hosei-archi-ob.sakura.ne.jp/essay/059/no059.html