no.134
矢嶋 一裕(2005年修了 渡辺ゼミ)
ウィーンでは5月19日からカフェやホテル、劇場が再開しました。昨年11月3日以来、半年以上続いてきたロックダウン措置がようやく緩和されたのです。 新型コロナウイルスによってもたらされた不都合は沢山ありますが、便益をきくことはなかなかありません。しかし、ぼくにとって料理をつくることに楽しさを見いだしたことは便益といってよいでしょう。カフェやレストランが閉まる中、自然と家で料理をすることが増えました。これまで作ったことのない凝った料理をYouTubeに映る有名シェフに倣いながら挑戦することは、とても楽しいことです。幸い、フレンチやイタリアンのシェフが指定する日本のスーパーでは手に入りにくそうな食材もウィーンなら手軽に安く手に入れることができます。実際に料理を作るなかで発見したことは、シェフが「美味しさ」を実現するために手掛かりとしているのが「味覚」だけではないことです。熱したフライパンにのせたジャガイモが発するピチピチと踊るような音。フライパンを傾げてステーキ肉に油をかける「アロゼ」によって得られるジューシーで柔らかな触感。ワインによって高め合う料理の香り。盛り付けを引き立たせる器の色。つまり美味しい料理は五感すべてで作られるのです。 アドルフ・ロースは、人間の五感すべてを包み込む建築空間をつくろうとしました。それを実現するために、人間の身体を中心として身体を包む衣服を押し拡げて空間をつくるような設計方法をロースは考えていました。その方法によってつくられる空間は、通常の視覚性優位な空間とは違う視覚性に依存しない建築空間となりました。ロースは「居心地の良い」空間が決して視覚だけではつくれないことを知っていたのだと思います。ロースは次のように語ります。 「私が設計した内部空間を写真に撮ったとしても、写真からはその空間の意図はまったく伝わってこない。これを私はもっとも誇りとしている。」 建築空間を視覚的に把握する方法として写真がありますが、ロースは自分が設計した空間を写真では捉えられないとして否定するのです。このようにロースの建築の特徴は視覚だけに留まらない建築空間における身体性への志向にあります。ロースの身体性への志向は、インターネット上で大量の建築写真が日々消費される現在の状況を考えれば、我々への痛烈な批評として現代的な意義をもっているように思います。 このような特徴をもつロースの建築を理解したいというのが、今、ぼくがウィーンにいる理由です。それには、食べるだけではわからなかったことが作ることで気が付いた料理のように、建築も見るだけでなく創る過程も追体験しなければいけません。そこで、ウィーン市記念物保護局と建築家のラルフ・ボック氏とともにロース建築の修復に取り組んでいます。今、修復に取り組むのは1913年竣工のエミール・レーヴェンバッハ邸です。所有者の変更により改変された部分を元の状態に復元する工事を行っています。建築写真を否定したロースでしたが、レーヴェンバッハ邸に関する写真はアルベルティーナ美術館に4枚残されています。それらすべて白黒写真のため、修復工事を始めるにあたりコンピューターによる自動色付け技術を用いてカラー化を試みました。その結果、ダイニングルームの天井は焦げ茶色として補正されたのですが、今年初めの現場調査で天井の一部を剥がしたところ、深緑色のオリジナル材が現れました。これはきっと写真嫌いのロースが仕組んだ罠だったのかもしれません。 美味しい料理が「味覚」だけに頼らないように、「視覚」だけに頼らずに居心地の良い建築空間をつくるにはどうしたらよいのか?それをロースの建築を通して探ることが、研究者ではなく建築家であるぼくの目下の課題です。5月から開始された修復工事の現場では夏休みもなく作業が進められています。その現場に足繫く通うことで、その課題への応答を探っています。