「水辺空間の魅力とその可能性」は法政大学で陣内秀信先生に出会うことで学んだ価値観であり、自身の人生にも大きな影響を与えた。
学生時代は、浦和レッズに夢中になるあまり、課題提出やゼミはいつも後手後手という生活を送っていたが、将来「水辺空間の再生」に何らかの形で携わることは人生の目標においていた。
就職活動時は、道頓堀のドンキホーテのビルをはじめ、民間ならではのアプローチで水辺の賑わい創出に寄与していたアーバンコーポレーションに内定するも、リーマンショックによる民事再生で内定取り消し。夏採用に滑り込み、東京を中心に不動産再生事業を行うサンフロンティア不動産に入社した。
入社後は、売買仲介を経て、不動産再生事業(不動産投資+リノベ)担当になったものの、水辺物件の再生に関わるチャンスにはなかなか巡り合わず、まずはプライベートで水辺に関わることから始めた。学生時代の研究対象だった小名木川、亀島川、豊洲、芝浦の中で住まいを探すうち、縁があり、港区芝浦の運河沿いへ移住。そして、港区芝浦港南支所が主催する区民参画組織に参画し、住民の立場から水辺の魅力を発信する活動に関わった。その活動で知り合った区役所の方からの紹介で、港区まちづくりマスタープラン検討委員会委員にも応募した。
そんな中、仕事の方でも転機が訪れる。
2015年に、仲介業者から、購入検討物件として芝浦の運河沿いに建つ築40年の旧耐震のマンションを紹介されたのだ。それが後に「THE HARBOUR
SHIBAURA」として生まれ変わる物件だった。リノベーション前は、運河沿いの遊歩道に接しているにも関わらず、敷地と遊歩道との間にある緑地帯により、街と水辺が分断されていた。せっかくの水辺に憩える空間が少なく、空間のポテンシャルが活かされていない、芝浦エリアを体現しているような立地だった。
面白い立地ではあるが、会社として事業検討を行うためには、経済条件をクリアしなければ先へ進められない。リーマンショック後は新耐震基準物件しか再生事業を行ったことのない会社だったこともあり、想像以上に承認を通すのが大変だった。売主にも協力してもらいながら、なんとか条件を纏め物件を購入し、自身がプロジェクトマネージャーとなって事業を開始。念願の水辺沿い建築の再生がはじまった。
耐震補強や、1階部分への増築+駐車場からレストランへの用途変更といった技術的問題は自社の建築部門と相談し、全体のブランディングやデザインはリビタやアンドロップといった外部デザイナーと協業。要となる運河接続(遊歩道と敷地を繋げてデッキを新設する)については、東京都港湾局と港区土木課、港区芝浦港南支所と複雑な権利関係を調整するという、前例のない挑戦となった。
個人的な思いを超えて「芝浦(東京)の水辺を良くしたい」、「芝浦の未来のために絶対に諦めるわけにはいかない」という強い気持ちで挑んだ。公の心で社会や街にどのような貢献ができるのか、ということを真摯に伝えることで、相手の心を動かし、様々な方の協力を仰ぎ、約2年に渡る協議を経て、社会実験制度を使わず、現行法、現行規則の拡大解釈の中で運河接続が実現した。
本プロジェクトは、新建築2018年3月号の「パブリックな水辺のつくり方」で紹介されている。当時副編集長で陣内研同期の木下まりこ氏の編集で、退官のタイミングの陣内先生と同じ誌面に掲載されたことも感慨深い(プロジェクトの内容についてはこちらをご参照ください)。
学生時代の学びを強い想いに変えることで実現したこのプロジェクトは、2019年の港区景観街づくり賞奨励賞を受賞することができた。審査委員長の総評の「関係者各位の努力の賜物だと思います」という一文には、込み上げてくるものがあった。この前例が今後の水辺の未来に貢献できる施設になることを願うばかりだ。
THE HARBOUR SHIBAURA 紹介記事:https://tamatch.com/180306theharbour.html/
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