no.150

ともかく走ってみる
2022年12月  

渡邊 忍(1984年 山田水城ゼミ卒業) 


  1984年に学部を卒業し、以降現在まで設備設計事務所に勤務し建築設備一筋に来た私ですが、なぜか今では42.195km走る設備設計者になっています。

  走りはじめは、2014年の秋頃に友人から立川ハーフマラソンに一緒に出ないかと誘われ、なんとなく出てみようかと思い参加をすることにした。

 高校まではサッカー部に在籍していたが長距離は苦手で雨の日の練習はランニングになることがあり、最後尾から遅れてやっと付いていったような状態だった。だから長距離を走るなんてもってのほかである。でも正月の箱根駅伝を見るのは好きで毎年欠かさず妻とテレビ観戦をしている。やはり法政の選手の勇姿は宝船のようでもある。

 どうであれ参加する以上は完走がまずは第一目標となる訳だが21qもの距離を走ったことも無く、誰かに教わることも無く1q2q3q5qと連続して走れる距離を伸ばして行き、2015年3月の大会前には何とか17qまで走れるようになった。

 大会当日はなんと雨なのである。雨の中を走るウエアなど持っているわけもなく、ユニクロのヒートテックの長袖とタイツを履きその上に大好きなFC東京のシャツとどこかのパンツ、そしてミズノの安いランニングシューズで参加することにした。旧立川基地内の滑走路を2周走ってから立川市内に出ていくのだが、立川ハーフには箱根駅伝に出ている学校の選手達も参加しており、その走り方はまるでダチョウが走っているのではないかと思わせるくらい凄まじいのである。当然私などはすぐさま滑走路内で先頭集団に追い抜かれるのである。当時はランニングウォッチも無く、ただスタートしてから何分経過したかなと時計を見ながら私は走っていた。

 市内を走り終えると最後は昭和の森記念公園内に入るのだが、思いもよらない坂が出てきた、平地でさえやっとの思いで走っているのに、「坂だと、聞いてないよ」なんて思いながら雨でびしょねれになりながら、何とかゴールすることができた、57歳にして初ハーフマラソン完走、雨の降る空を見上げ一人泣きしたのを今でも思い出す。

 その後は横田基地ハーフマラソン、青梅30qマラソン、埼玉国際マラソン、つくばマラソンにも参加し、2022年3月には東京マラソンにも参加するようになってしまった。誰に頼まれたでもなく、何でこんな事を俺はやっているのかなと毎回つぶやきながら走っている。今ではランニング用GPSウォッチやランニングシューズもそれなりの物を持つようになり、出張先でも朝ランするのが出張の楽しみにもなっている。

 以前は冗談で趣味は仕事なんて言ってはいたが、最近では走ることも趣味の一つになった気がする。この年になって諦めない気持ちを持ち始めてしまった面倒な64歳のオヤジなのである。


2022年3月東京マラソン完走後
 
 
 
 
 
 
 
 
[プロフィール]    
     
渡邊 忍 1984年卒業 山田水城ゼミ 

   
・叶ン備計画 専務取締役 建築設備士
・設備設計:茅野市民館(ナスカ) 設備設計・武蔵野プレイス(kwhg) 設備設計・流山おおたかの森小中併設校(シーラカンスアンドアソシエイツ)