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僕が学生時代、何度か聞いた言葉がある。「建築家とは、ヒトのおカネで夢を叶えられる幸せな職業である」という言葉。 その後、大学院を修了し、僕が地元の宮城県に戻ったのは、震災後の2013年だった。その頃、日本中の地方都市の生産年齢人口は爆減し、地方都市衰退するだけでなく、地方都市そのものが消滅する消滅可能性都市などが話題になった時代だった。 宮城に戻り、妻に建築設計に道は託し、仙台市の職員として7年間の公務員生活を過ごした。 建築を学んで社会に出たが、僕の生きる社会では、建築自体が社会の課題になっているのではないか。と、また憂鬱な気持ちになる。
人口増加時代においては、人口増加自体が大きな社会課題であり、建築をつくることが有効な解決策だった。 そのため、人口減少の中では、まずは地域の経営的発展を実現し、地域に投資が継続して行われる状態をつくる必要がある。
そう、自分の住む地域での経済活動が盛んになり、生産年齢人口も増え、僕たちも楽しい暮らしをつくることが、結果的に、自分たちの建築をつくる仕事も増えるのだろう。
そう思うようになって、少し気が楽になったと思ったら、今度はそんな暮らしを自分の周りにつくることは案外、大変なのである。
そんなことを背景にして、妻である洞口苗子(法政大学・渡辺研究室出身)と株式会社L・P・Dを設立した。 最初に、220坪ほどの土地と古民家を購入し、古民家をリノベーションし、母との二世帯住宅と美容室兼輸入雑貨店をつくった。第2ステージでは隣接する荒地だった緑道公園を再生しながら、緑道公園と庭を利用したマルシェなどを何度か開催し、地域に住みたい・働きたいという共感を集めた。そして、今年、第3ステージに入り、隣接する土地を新たに購入し、エリア型コレクティブハウスとして3世帯からなる賃貸集合住宅apartmentBEAVERをスタートさせ、加えて近所の空家を借りて、シェアオフィスもスタートさせた。
6年前までは、コンテンツが少なかった地域に美容室、輸入雑貨屋、僕たちの会社、シェアオフィスというコンテンツが生まれ、そこに3家族が岩沼に移住し住む様になった。子どもがいなかった地域にわずかであるが、5人の子供たちが住むエリアになった。 地方都市において、建築を生業に生きていくことは難しいのかもしれない。 僕たちがいつも心に留めている言葉がある。 |
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