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2020年に大学院を修了しました。緊急事態宣言が発出される時期で、求人も殆ど出ない年でした。卒業後、海外に挑戦したかったのですが、行動制限が始まり、身動きがとれなくなってしまいました。結局、1年程のらりくらりと食いつなぎ、現在は若い設計事務所に勤めていますが、このモラトリアムの期間が設計をやる上で非常に貴重な時間でした。
まず、卒業して同期と阿佐ヶ谷の一軒家を借りました。躯体を除いて自由に改修できる物件だったため、諸々解体してみることにしました。はじめは工具も使えませんが、慣れてくるとどう部材が留めてあるか、下地はどこかなど想像できるようになり、図面や教科書でしか見たことのない軸組や納まりが1/1で現れるので、感動しながらどんどん解体していました。この阿佐ヶ谷の家は、借りたときより価値を上げて返そうという目標のもと、現在も住みながら工事が進行中です。
また、同時期に家具屋でバイトをしていました。家具の塗装、取り付け、現場への搬入・設置、職人の動きや、取り付け前の家具を間近でみれたことは、仕上げを綺麗に見せるための作り方、どのように納めるか、何を使って切るか、どう固定するかなど、作り方を意識しながら設計するという意味で、勉強になりました。
暫くして、同居人が糸魚川で築100年の置屋建築を改修する仕事をもってきたので協力することになりました。計画は頓挫してしまいましたが、既存の調査から、躯体をみるための解体工事を手伝い、工務店の協力のもと、行政協議から見積図の提出まで、苦労しながら基本設計〜実施設計の流れを経験する機会となりました。
今度は、別の同居人が古商店を改修する計画があり、人手が足りていないと声をかけてもらい、別府に4ヶ月常駐することになりました。図面の描ける工務店ではなかったため、構造家からもらった軸組標準図をもとに施工図を描いて、毎日現場に通い、現場監理をしていました。
そして、諸々一段落したところで、いまの事務所に就職しました。働いていて、就職前に現場により近い場所で、様々な目線から作る過程を見れたことが、日々活きていると感じています。家を解体、工事したこと・家具屋での経験は、納まりや作り方、素材、仕上げを想像しながら設計するという点で、常に助けとなっています。また、別府での経験も、現場や構造設計とのやり取りの中で役に立っています。卒業後、ろくに就職もできず、毎日不安に過ごしていましたが、設計事務所で働く前の出来事が、今の自分を後押ししてくれている、という不思議な感覚の中にいます。就職して暫く経ち、最近は常に設計者という立場から物事をみているため、設計の外からの学びが活きることも減ってきました。設計者は特にスケールを横断する目を要する職能なので、今後も設計という職種だけにとどまらず、様々な目を持ちながら、多方面から建築をつくる目を養っていきたいと思っています。
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阿佐ヶ谷の家(解体前) |
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阿佐ヶ谷の家(工事後) |
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組み立て前の家具 |
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糸魚川 能生の解体現場 |
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別府の現場 |
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