no.156

村松貞次郎先生への手紙
2023年6月  

上條 千恵子(1991年 村松+倉田ゼミ卒業) 


前略
ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
ご指導いただいた先生方々、それから同期の鎌田くんも昨年そちらに逝かれました。
先生との出会いは、高校卒業して建築学科に入学が決まり、西荻窪駅前の本屋さんで購入した「日本近代建築の歴史」の一冊の本でした。大学の授業が始まるとその本の著者である村松先生が教授陣の一人に!! それから今で言う「推し活」が始まりました。
まずはその本にサインを頂き、授業はもちろん一番前。ゆっくりと穏やかで低音の声が夢心地になることもありました。
授業内容は近代西洋建築や日本伝統建築等の基礎を学ぶ授業で、歴史的建造物を鑑賞する際の建築知識を学ぶ面白い授業でした。
先生の座右の銘は「手考足思」でしたね。日本全国の近代建築を調査し、官僚の系譜と大工棟梁が建てた民の系譜があることを発見した時、身体中にマグマが噴火したという話をワクワクして聴きました。そして生徒には世の中の潤滑油になれと激励されました。

村松ゼミ夏の合宿では、世界遺産となった群馬の富岡製糸場、内村鑑三氏設計石の教会、アントニンレーモンド氏の軽井沢聖パウロカトリック教会と夏の家、吉村順三氏の軽井沢山荘を見学、そして大江宏先生設計の軽井沢追分の山荘 家族寮に宿泊し、建築学科の学生としては至福の時間を過ごしました。卒論は近代建築の内装材に使われた「金唐革紙」。卒業後に岩崎邸や鹿鳴館でも使われていたことがわかりました。

最初の職場横浜市役所を紹介してくださったのも先生でした。お弟子さんの藤森研究室協力による姉妹都市上海である歴史的建造物保存事業の仕事に携わり、その後中国上海留学時には同済大学の路先生ご夫妻にもお世話になりました。そうそう留学先にもお手紙いただきましたよね。
先生の残した功績は横浜の赤煉瓦倉庫、東京駅丸の内側赤煉瓦駅舎の改修、明治村等など全国各地で歴史的建造物の保存事業として整備保存され、今後も都市の記憶、街の魅力づくりとして引き継がれていく事と思います。

 先生がそちらに逝かれてからもう26年。同期の友人達とは今でも毎年先生のお墓参りをしています。
今は先輩森田美紀さん会長のUIFA JAPONで女性建築家の方々と交流を深めています。
ご縁に感謝しております。ではまた。
かしこ
 

村松先生と女子学生で
吉村順三氏設計の軽井沢山荘
 
アントニン・レーモンド氏設計の軽井沢聖パウロカトリック教会
 
大江宏先生設計の軽井沢追分の山荘
村松ゼミ合宿にて
 
[プロフィール]    
     
上條 千恵子 1991年卒業 村松+倉田ゼミ

   
1991年 法政大学工学部建築学科卒業
1991年 横浜市建築局
1994年 上海市同済大学留学
1995年 株式会社大谷研究室
その後 ARK CREW、(株)渡辺富工務店 他設計事務所でアルバイト・派遣を経て、現在家業で事務経理

UIFA JAPON会員
http://www.uifa-japon.com