今年の6月に北京を訪れました。
コロナ禍以前は中国に気軽に行けましたが、現在ではビザ申請が煩雑になっています。さらに、訪問期間が天安門事件からちょうど35年目の記念日に当たっていたため、北京中心部は厳重な警備体制が敷かれていました。市街地全体に緊張感が漂う中、せっかくなので天安門まで歩いて行こうとしましたが、そこにたどり着くまでに四つのゲートを通過しなければなりませんでした。パスポートや手荷物のチェックがあり、四つ目の検査ゲートでは、私が持っていた蛍光マーカー二本が警備員に見つかり、没収されました。幸い、没収されたのは簡単に買い直せる文房具でしたので、大きな問題にはなりませんでした。後で知ったのですが、白紙やペン類は、自由な思想を書いて掲げられるのを防ぐため、持ち込みが禁止されていたようです。同行者も、白い手ぬぐいを没収されていました。要するに、書くものや書かれるものは、意図がなくても持ち込めないのです。
さて、私が北京に来た最大の目的は、北京大学と清華大学を訪問することでした。この二つの大学は、世界ランキングで東京大学よりも上位にランクインしており、特に北京大学の哲学の先生の講義を聴けることが大きな目的でした。その講義のタイトルは『孔子と論語』です。
この講義で面白かったのは、漢字一文字に込められた深い意味を知ることができた点です。論語の中では、例えば「仁」や「礼」といった漢字について、弟子が「仁とは何か」と問うと、孔子がそれにどう答えたかが示されています。このやり取りは、まるで絵画や芸術を前にして「先生、この作品の意味は何ですか?」と尋ね、その解釈を聞くような感覚です。日本人にとっては漢字一文字の意味が単純に思えるかもしれませんが、中国人にとっては、その文字が単なる記号ではなく、そこに込められた意味の深さや多様性が特に興味深いと感じられました。
最後に、なぜ私が『論語』を学ぼうと思ったのかについてお話しします。私は社員数約40名の建設会社を経営しています。大学では建築を学びましたが、経営については勉強してきませんでした。経営について学ぶ中で、いつも『論語』にたどり着くのです。例えば、新一万円札の顔となる渋沢栄一の著書『論語と算盤』や、西郷隆盛が愛読していた『言志四録』も、論語をもとにした儒学です。また、徳川家康の愛読書であった『貞観政要』も、元をたどれば論語の教えに行き着きます。伝説の棟梁・西岡常一が「木を組むには人の心を組め」という名言を残しているように、私も会社を経営する上で、まず人の心を組むことが重要だと考えています。昔も今も変わらないのは、人の心です。だからこそ、孔子の教えは2500年もの間、人々に語り継がれ、今でも共感を呼ぶのでしょう。
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