秋の「ウーアラオプ」に訪れたライン川の風景(Rüdesheim am Rhein)
金田真聡のドイツ・ベルリン建築通信 no.03
アルバイトとウーアラオプ

 

日本語でも使われている、ドイツ語で「働く」ことを意味する「アルバイト(Arbeit)」。一方、日 本では全く聞きなれない「休暇」を意味する「ウーアラオプ(Urlaub)」。今回はこの二つの言葉 をキーワードに、ドイツにおける働き方、休み方について考えたいと思う。

「アルバイト」と働き方

ドイツ語を勉強し始めると、日本 語として使われているドイツ語が 多いことに気づく。医学や化学の 分野に多いと言われているが、例 えば一般的な物でも、リュックサッ クは背中を意味するドイツ語リュッ ケン(Rücken)と、袋を意味する ザック(Sack)を合わせた、ルック ザック(Rucksack)に由来してい る。ロシア系の同僚カタリーナに 聞いたところ、ロシアでもルック ザックと言っているというから言 葉の伝わり方には驚きだ。そして もう一つ、バイトとしてすっかり お馴染みのアルバイトはドイツ語 の「アルバイト(Arbeit)」が日本語 へと借用された言葉だ。しかし、 ドイツ語の「アルバイト」は日本 語のアルバイトの意味するところ のパートタイム労働や副業などの 意味ではなく、仕事や業績、勉強、 作品といった意味で用いられる。 パートタイム労働はむしろ英語か ら借用されたジョブ(NebenJob)が 用いられている。

現在私が勤める設計事務所には、 10以上の国から来た約40人のス タッフが勤務している。働き始め て最初に気づいた事が、勤務スタ イルが非常に多様だということだ。例えばインテリアデザインチーム のシニアデザイナー、マリアは幼 稚園に子どもを迎えに行くために 毎日午後3時で仕事を終える。マリ アの他にも3人がこの時間で退社す る。私と同じ建築チームで、一般 的には働き盛りと言われる30代後 半のアーロンも、子育てや家事を 分担するために毎日夕方4時までと いう契約になっている。しかし契 約内容がそうであっても、皆それ ぞれに責任あるポジションについ ている。また毎週金曜日は在宅勤 務というスタッフもいる。その他 のスタッフも仕事と家庭のバラン スによって勤務時間は多様だ。

一般的には長時間労働で知られる 建築設計事務所ではあるが、夕方6 時から7時の間に半数以上のメン バーが退社し、8時にはほぼ全員が 退社している。しかし、いくら残 業が少ないドイツでもコンペや図 面の締め切り前は皆必至で働くし、 必要なクオリティに達していない のに定時で帰宅しているようでは さすがに生き残れない。とはいえ、 深夜まで働くことや休日出勤はほ とんどない。そこには生活の基本 的な枠組みを崩してまで働くこと は悪いことであり、本来休むため にある休日は働いてはいけない、という感覚があるようだ。それで も仕事の都合上、止むを得ず残業 をせざるを得ず、残業時間が法律 の基準を上回った場合は会社から 強制的に一ヶ月の休暇を取らされ ることもある。つまり休むことは 労働者の権利であり、義務でもあ るのだ。そのため日曜日はスーパー も百貨店も携帯ショップも全てし まっている。ドイツで暮らし始め た頃はその感覚がなかったために、 土曜日に食料を買い込むことを忘 れ、日曜日に家でひもじい思いを したこともある。つい日本人の感 覚からすると、日曜日にこそより 多くの集客と売上を得られるので はないかと思ってしまう。しかし どうやらドイツでは、休みは休む ためにあるものだから、売り上げ より休むことの方が優先順位が高 いということのようだ。

余談だが、私がルームシェアをし ているドイツで育ちの正吾は、日 独両方の学校に通った中で一番納 得できなかった日本の学校の仕組 みは、夏休みに宿題が出ることだっ たという。「休むための夏休みな のに、宿題が出るなんて信じられ ない!!」ドイツでは小さい頃か ら、休みは休むためにあるのだと 身をもって習うというわけだ。

仕事場は「アルバイツプラッツ」
(Arbeitsplatz)

ドイツの休暇、「ウーアラオプ」

勤勉と言われながら、休むことが 大好きなドイツの人達にとって、 とりわけこの意味は大きい。私た ちスタッフの一年間の有給休暇の 日数は27日である。平日のみで27 日、つまり土日を含むと約6週間 にもなる。最も驚いたのは、その 全てを消化し切ることが「権利で あり義務でもある」という感覚で ある。同僚達の休み方を見ている と、7月から9月までのバカンス シーズンに3週間、年末のクリスマ スから年明けにかけて2週間、そし て残りの1週間分を祝日などと絡め て少しずつ取るという人が多かっ た。私の場合は友人や家族が遊び に来てくれる時期に合わせて、夏 休みを1週間、秋休みを1週間、冬 休みを2週間、そしてもうすぐ来る 4月に春休みを1週間取る計画とし た。ウーアラオプ初心者の私にとっ ては、皆が取るような3週間の休み というのは正直長過ぎてどのよう に過ごせば良いのかわからなかっ たのだ。お盆やお正月の三ヶ日の ように皆が一斉にまとまった休み を取る期間というのがないため、 皆で調整して順番に長期休暇をとっ ていくというスタイルだ。

そしてこの休暇の調整に、ドイツ の人たちの「ウーアラオプ」への 並々ならぬ情熱が感じられる。例えばクリスマス休暇から皆が戻っ た後の年始早々のミーティングで は、今年前半の休暇の予定と図面 の締め切りに向けた作業の振り分 けがメインテーマだった。またド イツの大多数の会社では、紙の資 料はインテリアのように美しくファ イリングされており、パソコンの データファイルも使いやすく整理 されているという。もちろんドイ ツ人の几帳面な性格によるところ も多いが、その徹底的な整理整頓 は、誰かが長期休暇や突然の休み をとった場合でも仕事を滞ること なく進めるための「休暇用に構築 されたシステム」でもあるのだ。

しかし私の目から見て、ドイツ人 が日本人より何倍も効率良く働い ているという印象は受けない。む しろ仕事を進める段取りやスピー ドは日本人の方が長けているよう に感じる。ドイツでは新築の着工 件数は日本の1/10以下だが、逆に 一つの建物にかける建設費が高く 工期も非常に長い。それ故、人も 時間もより多くかけることができ るのだ。建物が100年、200年生き られるというヨーロッパの血が流 れている彼らにとって、設計や施 工期間が多少長くても大した違い はないのかもしれない。結局長期 休暇を取れる秘訣は、プロジェク トの中で全員が休暇を全て取得す る前提でスケジュールを組み、そ のための仕組みを構築している、 ということ以外にはないだろう。

本来、表裏一体であるはずの「ア ルバイト」と「ウーアラオプ」。 しかし日本で日常的に耳にするア ルバイトに対し「ウーアラオプ」 とは全く馴染みのない変わった言 葉の響きである。もしかしたら「ア ルバイト」という言葉だけが日本 に輸入されたのか、はたまた「ウー アラオプ」も輸入はされたが、勤 勉で働き者の日本人の休暇制度と の大きな違いにより、使われなく なってしまったのかもしれない、 などと勝手に想像してしまう。

美しく整理された事務所のファイル

いかに働き、いかに休むか

経済的にも時間的にも良い生活を 送り、良い休暇を過ごすために働 いているドイツの人たちにとって、 そのための手段である「働く」と いうことが、目的である良い生活、 良い休暇を阻害する状況であれば それは本末転倒の事態である。日 本人の私から見て、会社で一番真 面目で責任感が強い同僚のミュニ アが、締め切り直前で毎晩9時過ぎ までの残業が続いていたとある夜、 こう言った。「毎日9時までの残業 が続くなんて、仕事量とチームの 人数のバランスが適切ではない。 この働き方では"ノーライフ"だ。 シェフ(ドイツではボスとは言わず シェフと言う)に言って改善されな ければ、近いうち私はこの事務所 を辞めるよ。」驚くと共に、まだ 小さい子どもを持つ彼の、生活を 主体的に選択する意志を見た。彼 の言葉によると仕事はライフには 含まれないということのようだ。 私は少し前までは夜9時というのは 日常的な残業だと思っていた。あ くまで仕事は生活の中心であった し、責任感を示す一つの指標が勤 務時間や有給休暇をあまり取らな いということだった。「ワークラ イフバランス」とよく耳にしたが ワークとライフは別れてはいなかっ た。しかし、この感覚がシェフか らの信頼に繋がり、ドイツ語が話 せないにも関わらずアーキテクト として採用してもらえたのだから、 我々日本人の強みとも言える。

 

ライフスタイルと「アルバイト」

思い返せば私は大学3年生まで、設 計課題の度に徹夜をしたり、毎日 2、3時間の睡眠で何週間課題を 行ったとか、友人と競い合うかの ように言っていた。しかし大学3年 生の秋、その生活をすっぱりやめ るきっかけとなる出来事があった。 それはいつものように徹夜をして 課題の発表会を終えたある日、疲 れ切って久々に家に帰り着きベッ ドに倒れこんだ私めがけて、窓か らとても綺麗な夕陽が差し込んで きたのだ。大学の地下の研究室に 約3週間住み込んで昼夜逆転に近い 生活を送っていた私は、毎日こん なにも美しい夕陽が自分の部屋に 差し込んでいることにすら気づい ていなかったのである。「自分の 目指す建築設計とは日々の生活の 中にある自然の美しさや豊かさを、 建築を通して建主に提供する仕事 のはずだ。それにも関わらず、そ の設計者自身が生活の中にある美 しいものにも気づけないような生 活をしていては、目指す設計など できるはずもない。そもそもそん な設計者に、自分の生活の器とな る建物を設計してもらおうとは誰 も思わないのではないか。」

それ以来、卒業設計や修士設計な どあらゆる課題を、「絶対に徹夜 をせずに最後までやり切る。」と いう目標を密かに自分自身に設定 するようになった。しかし建築設 計も創作活動である以上、「ここ で終わり」と時間や量だけで打ち 切れるものでもない。むしろ楽し くてやめられない時もある。そし て社会に出て、現実に建物を完成 させるには膨大な労力を必要とす る。ただ私が徹夜をしないと決め て実行したかったことは、徹夜や 休日出勤に慣れてしまうと、無意 識のうちにその時間も考慮に入れ てしまい本来のタイムリミットの 中での密度や集中力が低下すると いう自分自身の甘さを排除したかっ たのである。そしてそれを続けて いるうちに「成果」や「努力」を費やした時間だけで測ろうとする ことは健全ではない、と強く感じ るようになっていった。実際に徹 夜が常態化している環境の中では、 その先輩達の背中を見ている後輩 達も、知らぬ間にその習慣に陥っ てしまうことが少なくなかったよ うに思う。徹夜をせずに卒業設計 や修士設計もやり遂げられるとい うことを、手伝ってくれた後輩達 にもなんとか示したかったのだ。

ドイツに来て、より長い時間をか けて建物の設計、施工が進む環境、 そして休暇の取得に努力と情熱を 注ぐメンバーに囲まれた私が新し く始めた習慣は、目覚ましをかけ ずに寝ることである。それまでは 毎日機械のように正確に起きてい た私であったが、疲れている時は 自然と長く寝てゆっくりと出社し、 元気な時は自然と早く目が覚め、 朝からドイツ語や英語を勉強する というスタイルに変更した。家と 会社が自転車で5分という距離のた め、少々長く寝ても遅刻するとい う心配は全くない。自然に目が覚 めるまで寝た朝は、心身共にとて も調子が良く、仕事もはかどる。

それに加え、昼休みも家に帰って 昼寝をしてから会社に戻るので、 昼食後の眠気と格闘していた時間 はすっかりなくなった。ちなみに、 ヨーロッパの人の平均睡眠時間は 約8時間だそうだ。

働き方と休み方は、本当に個人差 の大きなもので正解はない。日本 人、ドイツ人と大くくりにできる ものでもない。そしてどちらが良 くて、どちらが悪いという議論で もない。それは長い時間をかけて、 その社会や文化の中で形成されて きたものであるからだ。すなわち、 突き詰めるとそれは個人の選択の 問題でしかない。だからこそ最も 大切なことは、自分自身でその環 境やライフスタイルを選択してい るという自覚ではないか、とドイ ツに来た私は考えている。しかし、 やっぱりどうにもこうにも納得い くまでやらないと気がすまない体 質の私は、今朝ももまた自然と朝 早く目が覚め、このエッセイを書 いてしまうのである。そして、そ れもまたここドイツでは、一つの 「アルバイト(作品)」なのである。

「ウーアラオプ」はドイツで働く楽しみの一つ
(Dubrovnik, Croatia)